東京地方裁判所 昭和62年(特わ)2760号 判決 1993年12月07日
主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中一二〇〇日をこの刑に算入する。
理由
(犯罪事実)
第一 被告人は、ほか数名と共謀の上、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由東京国際空港行日本航空株式会社定期旅客四〇四便旅客機(ボーイング七四七―二〇〇B型、登録記号八一〇九、同社代表取締役朝田静夫管理)を強取しようと企てた。そして、被告人ら四名において、旅客を装って搭乗した同機が、昭和四八年七月二〇日午後一一時三九分ころ(日本時間。日時については以下同じ。)オランダ王国アムステルダム所在のスキポール空港を離陸し、北海上空を航行中の同日午後一一時五五分ころ、同機操縦室内において、機長小沼健二、副操縦士高木修及び航空機関士浦野済次に対し、拳銃を突き付けながら、「パンパス(アムステルダム近郊の無線標識局)へ戻れ。言うことを聞けば乗務員、乗客の安全は保証する。」などと申し向けて脅迫し、更に、浦野済次に対し、その前額部を所携の拳銃で殴打する暴行を加えた上、高木修を操縦室から同機客室へ立ち退かせた。また、右客室内において、乗務員高木修ら二〇名及び乗客上田利男ら一一八名に対し、こもごも、拳銃を突き付け、あるいは手りゅう弾を示しながら、「座れ。動くな。手を上げて頭の後ろへ回せ。」などと怒号して脅迫し、更に、機内放送で、全乗務員、乗客に対し、「我々は被占領地域の息子達と日本赤軍である。我々がこの飛行機を完全に支配している。我々の指示に従え。座席に座り、手を上げろ。動くな。指示に従わない者は処罰する。」などと告知して脅迫し、これら全乗務員、乗客の抵抗を不能にした。その結果、小沼機長らをして、被告人らの命ずるままに同機を航行するのやむなきに至らしめ、同機の針路を前記パンパス方向に変更させた上、その後も、乗務員、乗客に対し、前同様の暴行、脅迫を繰り返し、更に、機内放送で、「ドアに爆弾を仕掛ける。危ないから近付くな。」などと申し向けて威嚇し、同月二一日午前七時一〇分ころ、同機をアラブ首長国連邦ドバイ所在のドバイ国際空港に着陸させた。そして、その後も、同空港に駐機中の同機内において、前同様の暴行、脅迫を繰り返してその抵抗を不能にし続け、その間、乗務員一名及び乗客二名を順次降機させたものの、小沼機長らをして、被告人らの命ずるままに、同月二四日午前五時五分ころ、乗務員、乗客一三七名を乗せたまま、同空港から同機を離陸、飛行させ、シリア・アラブ共和国ダマスカス国際空港を経由し、同日午後三時六分ころ、同機をリビア・アラブ共和国(当時の国名)ベンガジ所在のベニナ国際空港に着陸させ、もって、航行中の同旅客機を強取した。
第二 被告人は、ほか四名と共謀の上、パリ発アテネ、カイロ、カラチ、ボンベイ、バンコック経由東京国際空港行日本航空株式会社定期旅客四七二便旅客機(DC八―六二型、登録記号八〇三三、同社代表取締役朝田静夫管理)を強取しようと企てた。そして、被告人ら五名において、昭和五二年九月二八日午前一〇時二二分ころ(日本時間。日時については以下同じ。)インド国ボンベイ国際空港を離陸した同機に予め同空港から旅客を装って搭乗した上、離陸後十数分して禁煙サインが消えたころ、同国上空を航行中の同機客室内において、乗務員池末武史ら一一名及び乗客渡辺公徳ら一三七名に対し、こもごも、拳銃を突き付け、あるいは手りゅう弾を示しながら、「手を上げろ。顔を見るな。下を向け。動くな。」などと怒号して脅迫し、更に、乗務員斉藤修二らに対し、その顔面を手拳で殴打するなどの暴行を加え、また、同機操縦室内において、航空機関士渡邊慶伸に対し、その頭部を手拳で殴打する暴行を加え、同機関士、機長高橋重男及び副操縦士池上健一に対し、前同様に、こもごも、拳銃を突き付け、あるいは手りゅう弾を示しながら、「我々は日本赤軍だ。これだけの武器を用意している。我々の言うことを聞け。我々の指示どおりにすれば、乗客、乗務員の安全は保証する。」などと申し向けて脅迫し、更に、機内放送により、全乗務員、乗客に対し、「我々は日本赤軍日高隊である。この飛行機は我々がハイジャックした。我々の指示に従ってもらいたい。従わない者は厳重に処罰する。」などと告知して脅迫し、これら全乗務員、乗客の抵抗を不能にし、高橋機長らをして、被告人らの命ずるままに同機を航行するのやむなきに至らしめ、同機の針路をバングラデシュ人民共和国ダッカ方向に変更させた上、その後も、乗務員、乗客に対し、前同様の暴行、脅迫を繰り返しながら、同日午後二時三一分ころ、同機を同国ダッカ所在のテジュガオ国際空港(通称ダッカ空港)に強制着陸させ、引き続き、同空港に駐機中の同機内において、全乗務員、乗客に対し、機内放送により、「ドアに爆発物を設置した。危ないから近付かないように。」などと申し向けて威嚇した上、前同様の暴行、脅迫を繰り返してその抵抗を不能にし続け、その間、乗務員、乗客一一八名を順次降機させたものの、新たに搭乗させた桜庭邦悦ら三名の乗務員に対しても、前同様拳銃を突き付けて脅迫し、その抵抗を不能にし、以後、機内における全乗務員、乗客に対し、前同様の脅迫を継続してその抵抗を不能にしつつ、高橋機長あるいは桜庭機長らをして、被告人らの命ずるままに、同月三日午前零時一三分ころ、乗務員、乗客三六名を乗せたまま同空港から同機を離陸、飛行させ、クウェイト国クウェイト国際空港、シリア・アラブ共和国ダマスカス国際空港を経由し、この間、乗客一七名を順次降機させながら、同日午後一一時一七分ころ、同機をアルジェリア民主人民共和国アルジェ所在のダル・エル・ベイダ空港に着陸させ、もって、航行中の同旅客機を強取した。
第三 被告人は、伊良波秀男、泉水博、内間正秀、仲島弘和と共謀の上、旅券の名義人を偽った一般旅券の発給を受けようと企て、昭和六二年七月一六日、那覇市西三丁目一一番二三号所在の沖繩県旅券事務所において、同県知事を経由して外務大臣に対し、香港を主要渡航先とする一般旅券の発給を申請するに際し、自己の氏名が「伊良波秀男」、本籍が「沖繩県中頭郡北谷町字吉原五九一番地」、生年月日が「昭和二八年八月三一日」である旨の虚偽の記載をし、自己の写真を貼付した一般旅券発給申請書を、自己の写真及び伊良波秀男の戸籍謄本、住民票の写し等の必要書類とともに同所係員に提出し、よって、同月二七日、右事務所において、同所係員から、不正の行為である右申請に基づき、外務大臣が発行した伊良波秀男名義の一般旅券(旅券番号MH四六四四五二五)(平成元年押第四九二号の13)の交付を受けた。そして、被告人は、(1)昭和六二年八月三日、本邦から香港に向って出国する際、(2)同月一八日、香港から本邦に帰国する際、(3)同月二四日、本邦から中華人民共和国に向かって出国する際、(4)同年一一月二一日、香港から本邦に帰国する際の合計四回にわたり、それぞれ、千葉県成田市三里塚字御料牧場一番地一所在の新東京国際空港において、入国審査官に対し、他人名義の前記旅券を呈示して行使した。
(証拠)<省略>
(争点に対する判断)
括弧内の番号は証拠等関係カードの検察官(甲、乙)及び弁護人(弁)請求番号を示す。
第一 争点
一 弁護人は、手続上の主張として、犯罪事実第一(以下、「ドバイ事件」ともいう。)及び第二(以下、「ダッカ事件」ともいう。)記載の各事実について、「本件のようなハイジャック事犯には刑事訴訟法二五五条一項前段の適用はないというべきであり、仮に適用があるとしても、本件においては、被告人が日本国外にいたとの立証は尽くされておらず、したがって、いずれも公訴時効が成立しているから、免訴判決をすべきである。」旨主張し、また、各犯罪事実について、「公務執行妨害罪を理由とする被告人に対する現行犯逮捕は違法なものであるから、それを前提として収集された証拠は違法収集証拠であって、証拠能力が否定されるべきであり、また、これらに基づいてなされた本件各公訴提起は違法、無効であるから公訴を棄却すべきである。」旨主張する。
ついで、被告人及び弁護人は、事実上の主張として、犯罪事実第一記載の事実及び第二記載の事実について、「被告人は本件各犯行に参加したことはないし、謀議に関与したこともない。」と主張し、また、被告人は、犯罪事実第三記載の事実(以下、「旅券法違反事件」ともいう。)について、「(事実の有無は)裁判所の判断に任せる。」と供述する。
また、弁護人は、法律上の主張として、犯罪事実第三記載の事実について、「本件行為は国家によって不当に奪われた帰国する権利を回復するための被告人に残された唯一の手段であって、そこには違法性及び期待可能性がなく、被告人は無罪である。」と主張する。
二 したがって、本件の争点は、手続上のものとしては、犯罪事実第一及び第二記載の事実について、刑事訴訟法二五五条一項前段の適用があるか否か、あるとして、本件で被告人が国外にいたことが立証されているか否か、また、各犯罪事実について、被告人に対する本件現行犯逮捕が適法であるか否かであり、事実上のものとしては、本件各犯罪事実について、被告人は犯人であるか否かであり、法律上のものとしては、犯罪事実第三記載の事実について、被告人の本件行為に違法性及び期待可能性がなかったか否かである。
以下、各々について検討する。
第二 判断
一 手続上の争点について
1 免訴の申立について
(一) 刑事訴訟法二五五条一項前段の適用の有無
(1) 弁護人は、犯罪事実第一及び第二記載の事実について、「本件のハイジャック事犯のように、犯人が犯行直後から国外にいることが明らかである場合は、刑事訴訟法二五五条一項前段の適用はない。」旨主張する。
(2) しかしながら、同条項は、犯人が国外にいる場合は、犯人の責めに帰すべき事由により、公訴を提起しても、起訴状謄本の送達ができないため審理の手続を進めることが不可能であることから、これを公訴時効の停止事由にしたものである。
したがって、犯人が犯行直後から国外にいる場合であっても、事後国外に移動した場合であっても、いずれにせよ、起訴状謄本の送達ができないことには変わりがないのであるから、そのいずれであっても、同条項の「犯人が国外にいる場合」に該当すると解するのが相当である。
よって、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
(二) 被告人が国外にいたことの立証の有無
(1) 弁護人は、「『日本人出帰国記録調査書』と題する書面(甲二)によって、被告人が出国した事実は立証されているが、被告人が昭和六一年以前に帰国していたかは証拠上不明であって、したがって、本件では、被告人が国外にいたことの立証は尽くされていない。」旨主張する。
(2) そこで検討するに、「日本人出帰国記録調査書」と題する書面(甲二)、捜査報告書(甲三)、「外国人出入国記録調査書」と題する書面(甲二三六)、外国人入国記録(甲三一四)、第五八回公判調書中の証人小坂重孝の供述部分、第六〇回公判調書中の証人小林泰徳の供述部分によれば、①被告人は、「丸岡修」の名で、昭和四七年四月一三日に羽田空港から出国したこと、②それ以後、昭和六二年一〇月三一日までの間に、「丸岡修」名の者が日本に帰国した事実はないこと、③昭和六二年六月二一日に、フィリピン国籍の「ALCANTARA BENJAMIN E」名の者がスイス航空一八六便で日本に入国しているが、右入国に際して提出した外国人入国記録から、被告人の左拇指の指紋が検出されたこと、以上の事実が認められる。そして、「日本人出帰国記録調査書」と題する書面(甲二)に被告人である「丸岡修」名の者が帰国した事実が記載されておらず、かつ、証拠上、帰国したとの事実の存在が窺われない以上、右①から③の間、被告人が日本国外にいたことの立証はされているといえる。
(三) まとめ
以上のことから、犯罪事実第一及び第二記載の事実の発生時から被告人が「ALCANTARA BENJAMIN E」名で日本に入国するまでの期間、各事実に関する公訴時効は、いずれもその進行を停止しており、公訴時効は完成していない。
よって、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
2 公訴棄却の申立について
(一) 弁護人の主張
弁護人は、犯罪事実第一ないし第三記載の事実において、「本件公務執行妨害罪による逮捕は、捜査機関が捏造した被疑事実による身柄拘束であり、違法なものである。そして、旅券(甲二二三)等は、この違法な現行犯逮捕とそれに伴う違法な押収手続によって収集されたものであって、違法収集証拠として証拠能力が否定されるべきである。さらに、この違法逮捕に続く以後の勾留も、右逮捕手続の違法をそのまま承継して違法であり、それを前提とした証拠も、違法収集証拠として証拠能力が否定されるべきである。したがって、違法逮捕に基づく身柄拘束と違法収集証拠による立証を前提とした本件各公訴提起手続には重大な違法があり無効であるから、本件各公訴はいずれも棄却されるべきである。」旨主張する。
(二) 現行犯逮捕手続の適否
(1) そこで、まず、被告人に対する現行犯逮捕手続の適否を検討するに、証人三森貫一、同塚谷司及び同松苗昭栄の公判供述、原武勇及び本田稔(三通)の裁判官面前調書抄本(以下、公判供述、公判調書中の供述部分、裁判官面前調書及び捜査官に対する供述調書における供述を、いずれも「供述」ということがある。)を総合すると、被告人に対する本件職務質問、現行犯逮捕及び旅券(甲二二三)等の押収の経過は以下のとおりである。
① 昭和六二年一一月二一日午後九時ころ、警視庁公安部公安一課の部屋に、交換台を通して外線から電話があり、同課所属の巡査部長松苗昭栄(以下、「松苗」という。)が出たところ、四〇歳前後の男の声で、「過激派の大物が、成田発午後八時五〇分のリムジンバスに乗って箱崎に向かった。その男は、四〇歳くらいで、身長は一六〇センチメートルくらい、小太りで、額がややはげ上がり、グレーの背広を着て、茶色の鞄を持っている。その男は爆弾を持っている。」旨言って切れた。
② そこで、松苗は、直ちにこれを上司の警部三森貫一(以下、「三森」という。)に報告した。報告を受けた三森は、同課所属の警部補原武勇(以下、「原武」という。)、巡査部長本田稔(以下、「本田」という。)、巡査塚谷司(以下、「塚谷」という。)外一名に対し、東京都中央区日本橋箱崎町四二番一号所在の東京シティ・エア・ターミナルに行き、該当する男がいれば、職務質問を実施し、爆弾を所持していれば検挙するように指示した。
③ 原武ら四名は、直ちに、捜査用車両で同ターミナルに向かい、午後九時四〇分ころ同所に着き、原武が成田発午後八時五〇分のリムジンバスの到着の有無を確かめると、まだ到着していなかったので、前記車内に一名を残し、原武、本田及び塚谷の三名は、リムジンバスの乗客が手荷物を受け取りにくる手荷物引渡所がある一階で見張りの配置についた。
④ 午後一〇時すぎころ、二階から一階に通じるエスカレーター上に、指示を受けた人物によく似た男が現れたので、それぞれその動静を注視していると、その男は、手荷物引渡所で茶色の鞄を含む三個の荷物を受け取り、それをカートに載せ、二度にわたり電話をかけるなどし、この間、その男は、あたりを見回したり、後ろを振り向くなど、周囲を警戒するような不審な行動をとった。そこで、原武は、午後一〇時四〇分ころ、本田及び塚谷に対し、その男を職務質問するように指示した。
⑤ その男は、同ターミナルのビルを出てタクシー乗り場の方へ向かったので、塚谷は、その男を呼び止め、警察手帳を示しながら、「警察の者ですが、ちょっとご協力ください。」と言い、その男を同ビルの北東角にある久松警察署警備分室の角を左に曲がったところまで誘導した上、塚谷と本田は、その男に対する職務質問を開始した。
⑥ 塚谷らは、まず、身分を証明するものの提示を求めたところ、その男は、伊良波秀男名義の旅券(甲二二三)を提示した。そこで、それを受け取り、同旅券に基づいて人定事項について質問したところ、その男は、氏名と生年月日については、伊良波秀男のそれを答えたが、本籍と住所については、番地の数字を明確に答えることができず、「旅券に書いてあるとおりですよ。」などと繰り返し答えるのみであった。
⑦ つぎに、その男の同意を得て、カートに積んだ荷物三個の中身を検査したところ、爆弾様のものは発見されなかったが、茶色の鞄の中にあった小型の旅行用バッグの中に、戸籍謄本、住民票の写し、国民健康保険被保険者証の写しが入っていたので、「これはどうするんですか。」と尋ねると、その男は、「海外で旅券をなくしたときにいつでも再発行を受けられるように予め準備しているんだ。」などと答えた。
⑧ そして、それらの記載を検査したところ、まず、その住民票の写しには、前住居地が東京都中野区となっていたので、その地番や付近の状況について聞くと、その男は何も答えず、「中野ですよ。いいじゃないですか。」と言った。
⑨ また、伊良波秀男の本籍が、戸籍謄本では「沖繩県中頭郡北谷町字吉原」となっているのに、旅券では「沖繩県中頭郡字吉原」となっており、「北谷町」の記載がなかったので、「肝心の町の名前が入っていないじゃないか。」と聞くと、その男は、これには答えなかった。
⑩ さらに、同バッグの中から二〇〇万円くらいの多額の日本円及び外国紙幣が出てきたので、「これはどうしたんだ。」と聞くと、「外国でもらった。」などと答えたので、本田が、「本当にもらったのか。」、「誰にもらったのか。」となおも追及したところ、しゃがみこんでいたその男は、「身元がはっきりしているのに、いいじゃないか。」と言って、立ち上がりざま、中腰になっていた本田の顎の右下あたりに頭突きを加え、そのため、本田はその場にしりもちをついた。
⑪ そこで、塚谷は、直ちに、「何をするんだ。」と言って、その男の右腕を両手で掴んで制止し、そして、その場にやって来た原武が、公務執行妨害の現行犯人として逮捕する旨告げ、午後一一時一八分、現行犯逮捕し、さらに、その場で、その男が所持していた前記旅券、戸籍謄本、住民票の写し、国民健康保険被保険者証の写しを差し押さえた。
⑫ 当時、その男は、伊良波秀男と名乗っていたが、その後、指名手配中の丸岡修であることが判明した。
(2) 以上は、三森、塚谷及び松苗の公判供述、原武及び本田(三通)の裁判官面前調書(抄本)に沿った認定である。すなわち、被告人に対する職務質問及び現行犯逮捕並びに旅券(甲二二三)等の押収の経過については、以上の五名の警察官の供述と被告人の供述との間に食い違いが認められるが、警察官の供述は、それぞれの場の状況に照らし自然であり、その内容も詳細かつ具体的であって、一貫しているばかりか、その供述相互間においても、その内容が合致している。そして、職務質問中、旅券の本籍欄に町名の記載がなかったことについての被告人とのやりとりにつき、本田は、前記⑨のように、所持品検査で出てきた戸籍謄本と旅券とを照らして尋ねたと供述しているところ、被告人は、所持品検査の前にもう一度身分を確認されたとき、自分は戸籍どおりに町名を含め正確に答えたところ、旅券だけを持っていた警察官から、なぜ旅券のほうは抜けているのかと聞かれた旨供述している(被告人の裁判官面前調書、弁九)。本件の職務質問や所持品検査の流れからすると、戸籍謄本が出てきたことから旅券の記載との相違を聞いたとする本田の供述のほうが被告人の供述よりも合理的であるばかりか、被告人は、右裁判官面前調書で、「そうすると、地番まで完全に答えられなかったために、その点を追及されたということはなかったわけですか。」との検察官の問いに対し、「その旅券に本籍の北谷町、中頭郡、郡ですか、郡の名前が、どちらかが抜けていて、それで戸籍抄本を見られたときに、いや、じゃなくて、私がこう答えたでしょう、答えたら、私のは正確に答えたんだけれども、旅券のほうでは抜けていたわけです。」と答えているのであって、本田の供述に符合する戸籍関係の書類を見た際の出来事であったことを窺わせる供述をしているのである。
以上のような諸点を考慮すると、本田ら警察官の供述は信用できるのに対し、これに反する被告人の供述は信用できない。
(3) そして、まず、前記認定した事実関係によれば、昭六二年一一月二一日午後九時ころ、警視庁公安部公安一課に、前記内容の電話があったこと、この電話により原武ら捜査官が現場に急行し、見張りをしていると、午後一〇時すぎころ二階から一階に通じるエスカレーター上に指示を受けた人物によく似た被告人が現れたこと、被告人は電話をかける際などに、あたりを見回したり後ろを振り向くなど、周囲を警戒するような不審な行動をとっていること、また、本田及び塚谷の職務質問に対し、旅券に記載された本籍と住所について番地の数字を明確に答えることができず、また、住民票に記載された前住居地の東京都中野区の詳細や、戸籍謄本と旅券で本籍の記載が異なっている理由を答えられず、さらに、多額の金銭を所持していた合理的な理由を説明できなかったこと、以上の各事実が認められ、このような状況の下においては、警察官が職務質問を開始し、かつ、それを継続することは、何ら違法なものではなく、本件職務質問は適法なものと認められる。
この点について、弁護人は、①証人らが証言する爆弾に関する前記匿名通報は、捏造された事実であって、その電話は、当該人物は丸岡修であるとの捜査関係者からの報告にすぎない疑いがあること、②爆弾所持の匿名通報があったにもかかわらず、警察官がその電話においてその形状等について一切明らかにしようとせず、また、現場到着後も、被告人に対する職務質問や現行犯逮捕した際、爆弾についての配慮を何もしていないことは不自然であること、③爆弾所持の匿名通報により出動した前記原武らが、東京エア・シティ・ターミナルで、リムジンバスの到着する三階に張り込まず、一階だけに張り込んだのは不自然であること、④被告人に対する所持品検査によって爆弾らしい物が発見できなかったにもかかわらず、本田らが被告人に対する職務質問を継続したことは不自然であることを理由に、本件職務質問は、当初から被告人を逮捕する目的で行われた違法なものであると主張する。
しかしながら、まず、①の点であるが、三森及び松苗の匿名通報に関する供述は具体的で捏造されたものであることを疑わせる事情は認められない。
なお、原武らが爆弾を所持している者の捜査を再開しなかったのは、匿名通報の対象人物と被告人は似ていたのであり、原武の供述によると、同人は、職務質問を指示した後も約四〇分間、同ターミナル一階で見張っていたが、その間、匿名通報の対象人物に似た者は見なかったというのであり、かつ、同ターミナルに行った警察官は四名であるから、被告人の逮捕及びその事後処理のために、爆弾に関する捜査の継続は事実上不可能ないし困難になったことが認められるから、爆弾に関する捜査が続けられなかったからといって、通報が虚偽であったことを窺わせるものではない。
また、逮捕された人間が丸岡修であったことが判明したのは、原武、三森の各供述及び被告人の公判供述によれば、逮捕後のことであると認められるから、当該人物が丸岡修であるとの報告電話であったとは認められない。
つぎに、②の点であるが、まず、前記内容の通報があった場合、爆弾自体が何の包装もされず、裸のまま持ち運ばれている可能性は低いといえ、その形状などよりも、むしろ、それを所持している者の特徴に注意を払うのが警察官としては自然であるし、また、三森の供述によれば、爆弾の所持と爆弾の設置では、爆弾の具体的危険性の程度に差異があり、所持の場合には、犯人自身が所持しているため、爆発の危険性が高くないことから、爆弾処理のための特別の措置を講じなかったというのであって、不自然なものではない。
さらに、③の点であるが、原武の供述によれば、匿名通報による対象人物は茶色の鞄を所持しているとのことだったので、手荷物引渡所のある一階に張り込んだというのであって、とりたてて不自然なところはない。
最後に、④の点であるが、前記認定したように、本件被告人の本田に対する暴行行為は、本田及び塚谷の被告人に対する職務質問及び所持品検査の最中にされたものであるから、弁護人の主張はその前提に誤りがある。
以上のとおりであるから、本件職務質問は、当初から丸岡修を逮捕する目的で行われたものではない。
(4) つぎに、前記認定した事実関係によれば、本田及び塚谷による職務質問の最中に、被告人が本田に対して、しゃがみこんでいる姿勢から、立ち上がりざま、中腰になっていた本田の顎の右下あたりに頭突きを加える暴行を加えたため、原武が、被告人を公務執行妨害の現行犯人として逮捕したことが認められ、以上のことからすれば、本件被告人に対する現行犯逮捕は適法なものである。
この点について、弁護人は、本田は「被告人はパスポートを出しながら頭頂部で頭突きをしてきた」と供述するが、その態様は不自然であること、現場には柱があるので、本田が後ろにしりもちをつくことは不可能であること、被告人は、自分が指名手配されており、かつ、本件職務質問の際、それ以外に逮捕される理由は全くないことを知っていたのであるから、被告人が本田に頭突き行為をするはずがないことを理由に、本件現行犯逮捕は、当初から被告人を逮捕する目的で行われた違法なものであると主張する。
しかしながら、まず、本田は、「頭突きの直前、被告人と目が合い、次の瞬間頭頂部を向けてきた。」と供述しているのであり、決して目が合ったままの状態で頭頂部を向けてきたとは述べていないのであるから、不合理ではないし、また、その程度が、本田がしりもちをつく程度であり、さほど強烈なものではない以上、それが頭頂部でなされたものであるといっても、弁護人がいうような「自殺行為」となるようなものではなく、不自然とはいえない。
また、本田及び原武の供述によれば、現実に本田がしりもちをついたことが認められるし、さらに、前記認定したように、本件で被告人は、本田及び塚谷の職務質問及び所持品検査を受け、そのうちに旅券の記載などについて不審な点を繰り返し質問されるなどして、心理的に追い込まれていたであろうことが窺われ、したがって、被告人が本件頭突き行為をしたことが、心理的にみて不合理であったとはいえない。
(三) まとめ
以上のように、被告人に対する職務質問及び現行犯逮捕は、いずれも適法なものであり、したがって、現行犯逮捕に伴う本件旅券の押収手続及びそれを前提とする旅券法違反等による逮捕、勾留も何ら違法ではなく、また、その間に収集された証拠は違法収集証拠に該当しないことは明らかであるから、本件各公訴提起は、いずれも適法であって、弁護人の主張は理由がない。
二 事実上の争点について
1 ドバイ事件について
(一) 犯行の概要
まず、前掲関係各証拠を総合すると、犯罪事実第一記載の事実の犯行状況は、以下のとおりであることが認められる。
① パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由東京国際空港行きの日本航空株式会社(以下、「日本航空」という。)定期旅客四〇四便旅客機(以下、「四〇四便」ともいう。)は、昭和四八年七月二〇日午後一一時三九分ころ(日本時間。日時については以下同じ。)オランダ王国アムステルダム所在のスキポール空港を離陸した。
当時、同機には、機長小沼健二(以下「小沼」という。)、副操縦士高木修(以下「高木」という。)航空機関士浦野済次(以下、「浦野」という。)、チーフパーサー宮下宜久(以下、「宮下」という。)ら乗務員二二名と乗客一二三名(犯人を含む)が搭乗していた。
② 同日午後一一時五〇分過ぎころ、同機が北海上空のブルーベルインターセクション付近を飛行中、ファーストクラスに搭乗していた犯人A(外国人、男性)、B(外国人、女性)は、二階のラウンジに上がり、宮下から回転椅子の操作方法を聞いていたところ、Bが隠し持っていた手りゅう弾が暴発し、Bはその場合で即死し、宮下も負傷した。
③ このあと、Aは、無施錠であった操縦室出入口ドアから同室内に乱入し、「ハイジャック、ハイジャック。」などと叫びながら、小沼らに所携の拳銃を突き付けて脅迫し、英語で、「パンパスへ戻れ。」、「高度を三万七〇〇〇フィートに上げろ。」などと要求した。そして、「言うことを聞けば、乗務員、乗客の安全は保証する。」などと言った。
そして、Aは、高木を一階客室に降ろした上、浦野を副操縦士席へ移動させたあと、自分は航空機関士席に座り、英語で、「この飛行機は完全に我々が支配した。」などと機内放送し、ハイジャックを宣言した。
④ すると、それに呼応して、一階客席に搭乗していた犯人C(外国人、男性)、D(外国人、男性)、E(日本人と認められる男性)が客室の前方に走り寄り、それぞれ、拳銃、手りゅう弾を示しながら、乗客に対し、英語及び日本語で、「座れ。動くな。手を上げろ。」などと言って脅迫し、また、機内放送用のマイクを用いて、まずDが英語で、次にEが日本語で、「我々は被占領地域の息子達と日本赤軍である。我々がこの飛行機を完全に支配している。我々の指示に従え。座れ。手を上げろ。動くな。」などと放送した。
⑤ その後、C、D、Eらは、拳銃及び手りゅう弾を乗務員及び乗客に示しながら機内を巡回するなどして制圧し、また、機内放送を通じて、乗客らからパスポート、カメラ等の所持品を通路に投げ出させて、それをスチュワーデスなどに集めさせた上、乗客らを身体検査し、さらに、男性客を窓側に、女性客を通路側に着席するように席を移動させるなどした。
⑥ この間、操縦室内にいた小沼は、Aの隙を見てハイジャックコードを発信した後、地上管制施設(プレストン)へ、「パンパスへ向かう。高度を三万七〇〇〇フィートにする。」旨通信した後、Aの指示に従い、スキポール空港から、無線標識局が設置されているパンパス方面へ向かった。
⑦ その後、A及びCは、地上との交信用マイクを使用してハイジャック宣言を発し、また、小沼に指示し、同機を、ドルトムント、フランクフルト、チューリッヒ、ミラノ、ニコシア、ベイルート、ダマスカス、バグダットなどの上空を経て、同月二一日午前七時一〇分ころ、アラブ首長国連邦ドバイ所在のドバイ国際空港に着陸させた。
⑧ その直前ころ、Eは、機内放送により、英語及び日本語で、「ドアに爆弾を仕掛ける。危ないからドアに近付くな。」などと告げ、着陸後も、C、D、Eらは、拳銃を構えるなどして、乗務員及び乗客が脱出しないようにして、その制圧を続けた。
⑨ 同空港に着陸後、Aは、小沼及び浦野とともに、一階客室に降り、Cは、操縦室内で、同空港管制塔に対し、「誰も飛行機に近付くな。近付こうとすれば飛行機を爆破する。」などと警告し、また、「アラブ首長国連邦に対する要求は何もない。指導部からの指令を待っている。」などと通告した。
⑩ その後、犯人たちの要求に従い、食料、水等が同機に搬入され、また、燃料の補給が行われた。その間に、負傷した宮下が担架で降ろされ、病院に収容された。
⑪ なお、本件事件発生後、東京都千代田区内の日本航空東京支店に、英文で、「パリ発東京行き日航ジャンボジェット機四〇四便は、現在、我がコマンドの完全な支配下にある。身代金合計三九億九八〇〇万円を支払い、松田久及び松浦順一を釈放してドバイに移送しなければ航空機を爆破する。」などと記載された「被占領地域の息子たち」を差出人名義とする書簡が郵送され(東京中央郵便局昭和四八年七月二二日一二時から一八時の消印があるもの)、そして、その全文が、同月二三日午後六時四〇分ころ、ドバイ国際空港管制塔に伝えられ、同管制塔を通じて犯人側に伝えられた。
⑫ 犯人たちは、この間、管制塔からの乗務員及び乗客の解放要請を拒否し続けていたが、病気の乗客とその妻を解放した。その後、小沼らは二階のラウンジの状況を確認し、浦野が同機の外部を点検したのち、同月二四日午前五時五分ころ、同機は、同空港を離陸した。
⑬ その後、同機は、Aの指示に従って、イラクのバグダットへ向かい、バグダット国際空港への着陸を要求したが、拒否された。そこで、行き先をシリア・アラブ共和国のダマスカス国際空港に変更し、同日午前八時四五分ころ、同空港に着陸した。そして、浦野が同機の外に出て、機体の外部の点検及び燃料の補給の指示などをし、同日午前一一時五八分ころ、同空港を離陸した。その後、同機は、Aの指示に従って、同日午後三時六分ころ、リビア・アラブ共和国のベニナ国際空港(以下、「ベンガジ空港」ともいう。)に着陸した。
⑭ 同空港への着陸に先立ち、Eは、日本語で、「我々は日本政府に同志の釈放と金を要求したが、日本政府は二つとも拒否した。報復のため、着陸後この飛行機を爆破する。これによる損害は、すべて日本政府に責任がある。」などと機内放送により演説した。
⑮ 同空港に着陸後、直ちに、全乗客、乗務員は、乗務員の誘導により、機外に脱出した。
その直後、犯人らは、手りゅう弾を使用して機体爆破の準備をし、自らも機外に出た上で、同機を爆破、炎上させた。
その後、犯人らは、リビア・アラブ共和国において投降した。
(二) 乗務員及び乗客が目撃した日本人と認められる犯人と被告人との同一性
以上のように、本件犯行においては、日本人と認められる犯人(前記E。以下、「日本人犯人」という。)が一名加担していることが認められるが、この日本人犯人を目撃した状況及び日本人犯人と被告人との同一性識別に関しては、小沼ら乗務員六名の証言と古武彌六ら乗客四二名の捜査官に対する供述調書がある。
そこで、以下、これら乗務員及び乗客の目撃供述について検討する。
(1) 公判廷における乗務員の供述について
① 小沼の供述について
(a) 供述の要旨
証人小沼の供述(第一七、一八、二〇回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
事件発生後、ドバイ空港に向かって水平飛行中、東洋人と思われる犯人が操縦室内に入ってきた。日本人に非常に近いという感じがしたので、「あなたは日本語がしゃべれますか。」と聞いたところ、いきなり、英語で、「おまえには関係ないことだ。」と言われて、右頬を殴られた。
その後、相当時間が経ってから、また、その犯人が操縦室内に入ってきて、今度は日本語で、今どの辺を飛んでいるのかと聞いてきた。そのとき、この犯人は明らかに日本人であると確信した。この日本人犯人は、ハンチングをかぶり、どちらかと言えばラフな服装で、濃い目のサングラスをかけ、白い軍手をはめ、拳銃を握っていた。
また、ドバイ空港に駐機中、犯人の許可を得て、夜、客室内を見て回った時、日本人犯人を含む二、三人の犯人と交渉をしたことがあった。この時は本当に身近な間隔で日本人犯人と正面から相対した。このとき、日本人犯人は、サングラスを外しており、右手にピストル、左手に錐を持っていた。機内はやや明るい程度だったが、日本人犯人の顔ははっきり見えた。
ダマスカス空港に駐機中も、日本人犯人が操縦室内に入ってきたことがあった。
日本人の犯人は、眉が非常に濃くて太く、鋭い目付きをしていた。顔はちょっとしゃくれた印象で、顎のほうが少し伸びていた。どちらかと言えばきゃしゃというよりスリムな感じで、細身ながら体全体から受ける印象は非常に精悍という感じで、髪の毛は非常に黒く、普通に生えていた。
日本人犯人の顔は今でもはっきりと覚えている。それは検察官作成の報告書(甲二八九)添付の面割写真帳〔一六枚の写真が貼付され、そのうち、6番が、捜査関係事項照会回答書(甲二九三)によれば、被告人作成名義の昭和四七年三月二一日付け一般旅券発給申請書に貼付された被告人の写真であることが認められ、また、10番が第二四回及び二五回公判調書中の証人工藤實の供述部分及び被告人の公判供述によれば、被告人が高校生であった昭和四四年三月ころ小豆島で撮影されたスナップ写真の被告人の部分を拡大した写真であることが認められるもの。〕の6番と10番の写真の男である。
被告人は、目と眉毛と顎に日本人犯人の面影があるが、一六年前の日本人犯人の顔、姿との間にひどい違いがあるので、被告人が日本人犯人かどうかはどちらとも言えない。
(b) 供述の信用性
小沼は、本件発生当時、機長として四〇四便に乗務していた者であるが、本件日本人犯人とは、①ドバイ空港に向かって飛行中、ア 操縦室内で、日本語が話せるか聞いたところ、おまえには関係ないと言われ頬を殴られたとき、イ 操縦室内で、今どの辺を飛んでいるのかと聞かれたとき、②ドバイ空港に駐機中、客室内で日本人犯人を含む犯人二、三人と交渉したとき、③ダマスカス空港に駐機中、日本人犯人が操縦室内に入ってきたときの四回にわたって接触しており、目撃回数は多い。そして、特に、そのうち②のドバイ空港に駐機中は、身近な間隔で、サングラスを外した日本人犯人と、正面から相対し、機内はやや明るい程度であったが、その顔ははっきり見えたというのであって、目撃距離は短く、目撃現場の明るさは人の顔を識別するのに十分であり、目撃対象の状態も素顔であり、また、日本人犯人と交渉しているのであるから目撃時間も十分であったと認められる。
そして、その際、日本人犯人がサングラスを外していたか否かについて、たしかに、弁護人が主張するように、ほとんどの乗客がサングラスを着用していた旨述べているが、乗客の谷平シゲ子及び小林義子並びに乗務員の長谷川淳(以下、「長谷川」という。)は、ドバイ空港に駐機中、日本人犯人がサングラスを外していたのを見たと供述しているのであって、小沼の日本人犯人がサングラスを外していたとする供述に不合理な点は窺えない。以上のことから、小沼の客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、小沼は、日本人犯人の特徴について、前記のように、顔の輪郭、目、眉毛、顎、身長、体格、髪の毛について、詳細かつ具体的に指摘した上で、「機内で直接この目で見た日本人犯人の面影は、今でもはっきりと覚えている。」旨供述し、また、面割写真帳の6番と10番の写真二枚を見て、「間違いない。」と供述していることを考えると、小沼は、日本人犯人の特徴を強く記銘し、その記憶の正確性も高いと認められる。
以上のことから、小沼の日本人犯人に関する供述の信用性は高いものと認められる。
② 高木の供述について
(a) 供述の要旨
証人高木の供述(第一一ないし一三回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
事件発生直後、犯人に命令されて、操縦室からファーストクラスの客室に降りていった。すると、間もなくしてハイジャック宣言のアナウンスがなされ、後ろのエコノミークラスから日本人犯人ともう一人の犯人が、それぞれ手に拳銃と手りゅう弾を持ち、大声を出しながら走ってきた。その後、日本人犯人は、私の座っている席のすぐ前のマイクを使い、日本語でハイジャック宣言をした。
ドバイ空港に駐機中、日本人犯人と二回会話をしたことがあった。一回目はドバイ空港に着陸して二日目か三日目で、機内のトイレの臭いを何とかするように頼んだ。二回目は日本人犯人の方から、副機長かと聞いてきたので、そうだと答えた。
ドバイ空港を離陸する前に、犯人に操縦室に連れ戻され、再び飛行機を操縦することになった。そして、ダマスカス空港に着陸して燃料を補給中、日本人犯人が他の犯人と交替して見張りのため操縦室に入ってきたことがあった。日本人犯人は機長席の後ろの補助席に座り、私は副操縦士席で次のフライトの準備をしていた。浦野機関士は機外に出ていたと思う。この間は約二、三〇分で、時々ちらちらと日本人犯人の顔を盗み見た。この時、日本人犯人はそれまで着けていたサングラスを外していた。私と日本人犯人との距離は二メートル程であった。
日本人犯人の身長は一六〇か一六五センチメートルくらいで、やや痩せていた。しかし、非常に敏捷というか鍛えられた感じだった。顔は逆三角形で、やや顎がしゃくれており、眉毛が非常に濃く、目が大きくぎょろっとしていた。少し顎が出っ張ってらっきょうみたいな感じがしたので、「らっきょう」と呼んでいた。
被告人は、やや太りぎみではあるが、日本人犯人と非常に似ている。
(b) 供述の信用性
高木は、本件発生当時、副操縦士として四〇四便に乗務していた者であるが、本件日本人犯人とは、①事件発生直後、犯人に命令されて、操縦室からファーストクラスの客室に降りていって間もなく、後ろのエコノミークラスから、日本人犯人ともう一人の犯人が、手に拳銃と手りゅう弾を持ち、大声を出しながら走ってきて、日本人犯人がマイクを使い、ハイジャック宣言をしたとき、②ドバイ空港に駐機中、日本人犯人と会話をしたとき(二回)、③ダマスカス空港に駐機中、日本人犯人が他の犯人と交替して見張りのため操縦室に入ってきたときの合わせて四回接触しており、目撃回数は多い。
このうち、③の目撃について、高木はダマスカス空港のこととして供述しているが、浦野はダマスカスでの給油は一回であり、その際には日本人犯人は自分についてきたと述べており、また、高木の供述によると、本件後間もない時期にとられた同人の検察官調書では、この目撃はドバイ空港のことであったと述べていたことが窺えることからすると、ダマスカス空港でのことではなかった可能性が高い。
そして、前記のとおり、ドバイ空港にはおよそ三日間駐機しており、浦野の供述によると、同人はその間、給油や機外点検のため二、三回機外に出、そのときにはいずれも日本人犯人はついてこなかったこと、機外点検は、操縦室に小沼、高木がそろってから出ていったことが認められ、また、小沼の供述によると、ドバイを離陸する数時間前に、離陸準備のため、自分と高木、浦野が操縦室に呼ばれ、その後離陸までに犯人たちが入れ代わり立ち代わり操縦室へ入ってきていたこと、離陸準備中に浦野が機外点検に出ていったことが認められる。これによると、高木はドバイ空港に駐機中、操縦室で日本人犯人を目撃することができる状況にあったと認められる。したがって、高木が日本人犯人を操縦室で見たのは、ダマスカス空港ではなく、ドバイ空港である可能性が高い。しかしながら、このように、高木に日本人犯人を目撃した空港について記憶の混同があるとしても、その目撃状況に関する供述が具体的であり、かつ、検察官調書との齟齬も、目撃した空港についてのものであり、目撃したこと自体には齟齬が窺われないこと、証言までに一六年程の長い年月を経ていることからすると、このような記憶の混同があるからといって、高木の日本人犯人の目撃供述の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
そして、この操縦室で日本人犯人を目撃した時間は相当長く、その間、時々日本人犯人の顔を盗み見ているところ、そのとき日本人犯人はサングラスを外しており、また、日本人犯人が座っていた機長席の後ろの補助席と高木が座っていた副操縦士席とは、実況見分調書(甲三九)によれば、約一メートルの間隔しかない。
このように、高木は、複数回、日本人犯人と接触し、そのうち一回は、相当長い時間にわたって至近距離で日本人犯人の素顔を見ており、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、高木は、日本人犯人の特徴について、前記のように、その身長、体格、顔の形、顎、眉毛、目について、詳細かつ具体的に指摘した上で、「被告人は、日本人犯人と非常に似ているという印象をもっている。」旨供述していることを考えると、高木は、日本人犯人の特徴をよく記銘し、これを記憶していたものと認められる。
以上のことから、高木の日本人犯人に関する供述は信用できるものと認められる。
③ 浦野の供述について
(a) 供述の要旨
証人浦野供述(第一四、一五回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
事件発生後、ドバイ空港に向けて飛行中、日本人犯人が、二階ラウンジに通じる螺旋階段のところから、ひょいと顔を出して操縦室内を覗いた。その時は一般の乗客と思ったので、日本語で注意すると、すぐに客席に戻って行った。
その後、日本人犯人が操縦室内に入ってきたことがあった。この時、小沼機長が英語で日本語を話せるかと聞くと、英語でお前には関係ないと言って小沼を小突いた。
ドバイ空港に着陸すると、操縦室から客室に移動させられたが、駐機中、日本人犯人は、他の犯人とともに通路を歩いて乗客らの監視に当たっていた。
また、ダマスカス空港に駐機中、離陸前に機外に出て、燃料やエンジンオイルの補給を手伝ったり、機体の外部点検をした。作業に約三、四〇分要したが、その間、日本人犯人が常に後ろからピストルを持ってついてきた。日本人犯人は、二メートル前後の間隔でついてきたので、時には日本人犯人の顔を正面から見ることもあった。その時は明け方であったが、オープンなスペースにおいては十分人の顔を見分けることができた。
日本人犯人の素顔は、螺旋階段のところから顔を出した時と、ダマスカス空港で機体の外部点検等をした時の少なくとも二回見た。
日本人犯人は、身長が一六〇センチメートルちょっと前後で、細身、眉毛が太く、目は割合とぱっちりしていて、顎はおむすびのような尖った逆三角形をしていた。全体として見た感じでは色の白いインテリ風という感じであった。
被告人は、日本人犯人と眉毛、目、鼻、顎、背丈の感じが同じなので、同一人物と思う。
眉毛、鼻、顎の感じなどの顔の印象は、当時のままと思っている。
被告人は日本人犯人に間違いないと信じている。
新聞報道の被告人の顔写真をみて非常にそっくりだ、間違いないと思った。
(b) 供述の信用性
浦野は、本件発生当時、航空機関士として四〇四便に乗務していた者であるが、①事件発生後、ドバイ空港に向けて飛行中、日本人犯人が、二階ラウンジに通じる螺旋階段のところから、ひょいと顔を出して操縦室内を覗いたとき、②ダマスカス空港に駐機中、機外に出て、燃料やエンジンオイルの補給を手伝ったり、機体の外部点検をしたときの二回、日本人犯人と接触している。
特に、ダマスカス空港に駐機中においては、作業していた約三、四〇分もの長時間、日本人犯人は、浦野の後ろからピストルを持って二メートル程度の間隔でついてきており、浦野は時には犯人の顔を正面から見ることもあり、その時は明け方であったが、オープンなスペースにおいては十分人の顔を見分けることができたというのである。
そして、「公. 公1第5507号照会の件」と題する書面(甲五)によれば、ダマスカス空港に着陸したのは現地時間で午前二時四五分、離陸したのは午前五時五八分と認められ(この書面に現地時間による離陸時間として午前二時五八分とあるのは、同書面の日本時間との対比及び乗務員の高木、小沼、浦野、長谷川のダマスカス空港には約二ないし四時間いたとする供述から、午前五時五八分の誤記と認められる。)、また、小沼は、給油中、太陽は出ていなかったが、夜が明けており、機外にいる人の顔が見えた旨述べており、長谷川も、外は明るく、給油車が走っているのが見えた旨供述しており、浦野の目撃状況に特に疑問を挾むところはない。
なお、弁護人は、高木及び長谷川が機内にいる日本人犯人を目撃しているから、浦野の供述はこれと矛盾していると主張する。しかし、高木の操縦室での日本人犯人の目撃は、ドバイ空港の可能性が高く、また、長谷川が日本人犯人を目撃したのは、長谷川の供述によれば、ダマスカス空港に駐機中の真ん中くらいの時間帯であったというのであるから、必ずしも浦野の供述と抵触するものではない。
このように、浦野は、複数回、日本人犯人と接触し、そのうちの一回は、目撃時間が長く、目撃距離も間近で、素顔の日本人犯人を観察しており、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、浦野は、日本人犯人の特徴について、その身長、体格、眉毛、目、顎、全体の感じについて、前記のように、詳細かつ具体的に指摘した上で、「被告人は、日本人犯人と眉毛、目、鼻、顎、背丈の感じが同じなので、同一人物と思う、日本人犯人に間違いないと信じている。」と供述していることを考えると、浦野は、日本人犯人の特徴をよく記銘し、それを記憶していたものと認められる。
以上のことから、浦野の日本人犯人に関する供述は信用できるものと認められる。
④ 長谷川の供述について
(a) 供述の要旨
証人長谷川の供述(第一九、二〇回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
事件が発生した時は、L4(Lは機首に向かって左側、4は機首から第四番目の扉の意味。以下同様。)付近の乗務員席にいた。その直後、日本人犯人が他の二名の犯人とともに、手にピストルと手りゅう弾を持ち、乗客らに対し、大声で、「席を立つな。動くな。」などと言って脅したのを見た。
また、ドバイ空港に行くまでの間、日本人犯人が、「近寄るな。」と言いながら、爆発物らしき物の入ったカバンをドアの近くに運んでいる姿や、他の犯人とともに、デッドヘッドクルーとして本件飛行機に乗っていた佐伯機長の頭を小突いたのを見た。
ダマスカス空港に駐機中、トイレに行ったときと思うが、L5のドア付近で、見張りをしていた日本人犯人と話をした。「ここはどこですか。」と話しかけると、日本人犯人は、日本語で、「ダマスカスだ。」と言った。この時、L5のドアは開いていて、外は明るかった。外で、給油車が走っているのが見えた。話をしていた時間は二、三分で、日本人犯人は当初サングラスをかけていたが、途中で外したので、はっきりと素顔を見ることができた。顔を見ながら話した。二人の距離は一メートルも離れていなかった。
その後、座席に座っていると、日本人犯人が、「この人数を脱出させるのに時間はどれくらいかかるか。」と質問してきたので、「二、三分でしょう。」と答えた。
その他、ドバイ空港に駐機中、日本人犯人が見張りをしていた際、サングラスを外して指で目頭を押える仕草をしたので、その素顔は、何回か見た。
また、ダマスカス空港を離陸して、ベンガジ空港に着陸するまでの間、日本人犯人が、他の一名の犯人とともに、爆発物が入っていると思われるカバンを前方に持っていくのを見た。
日本人犯人は、身長が一六〇から一六五センチメートルくらいで、痩せ形、顔の形は逆三角形で、眉が濃く、顎がしゃくれていた。
濃い眉と顎の形、全体の顔の印象から、被告人が日本人犯人であることは間違いないと思う。当時と違うのは、多少太ったのと、髪の毛が大分薄くなった点である。
(b) 供述の信用性
長谷川は、本件発生当時、パーサーとして四〇四便に乗務していた者であるが、①ハイジャック発生時に、日本人犯人が乗客を脅迫したとき、②日本人犯人が爆発物らしきものを運んでいるとき、③日本人犯人が佐伯機長の頭を小突いているとき、④ダマスカス空港に駐機中、L5ドア付近で話をしたときの四回、日本人犯人を見ている。
そして、特に、L5ドア付近で話をしたときは、L5ドアは開いていて、外は、給油車が走っているのが見えるくらい明るく、話をしていた時間も二、三分間あり、また、日本人犯人は当初サングラスをかけていたが、途中で外したので、はっきりと素顔を見ることができ、その顔を見ながら話しをしており、そのときの二人の距離は一メートルも離れていなかったというのである。
このように、長谷川は、日本人犯人を、二、三分間、至近距離で、しかも、その素顔を見ており、客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
なお、弁護人は、右④の長谷川の供述は、日本人犯人が、操縦室にいたとする高木の供述、また、機外にいたとする浦野の供述とも矛盾すると主張するが、これらの供述が抵触しないことは、前記「③ 浦野の供述について」で述べたとおりである。
また、長谷川は、日本人犯人の特徴について、その身長、体格、顔の形、眉、顎について、詳細かつ具体的に指摘した上で、「被告人が日本人犯人であることは間違いない思う。」と供述していることを考えると、長谷川は、日本人犯人の特徴を強く記銘し、その記憶の正確性も高いと認められる。
以上のことから、長谷川の日本人犯人に関する供述の信用性は高いものと認められる。
⑤ 平賀鋭一(以下、「平賀」という。)の供述について
証人平賀の供述(第二一、二二回公判調書中の供述部分)によれば、平賀は、本件発生当時、スチュワードとして四〇四便に乗務していた者であるが、①ドバイ空港に向けて飛行中に、ハンドセットの使い方を教えたとき、②ドバイ空港に着陸して二日目、石井チーフパーサーと話をしていて、手りゅう弾で頭を殴られ、拳銃の台尻で右頬を殴られたとき、③ベンガジ空港に向けて飛行中に、飛行機から脱出するのに要する時間について聞かれたとき、④ベンガジ空港に向けて飛行中に、R2のマイクで、日本人犯人がアナウンスしているときの四回にわたって、日本人犯人を見ており、特に、ドバイ空港で暴行を受けたときや、ベンガジ空港に向けて飛行中に、飛行機から脱出するのに要する時間について聞かれたときは、日本人犯人はサングラスを外した状態であり、その素顔を何回か近くで見ていると述べ、被告人は日本人犯人と眉毛と目と鼻の感じが似ているとしている。
しかしながら、平賀の証人尋問の内容等に照らすと、事件後間もない昭和四八年八月一四日の検察官に対する供述では、同人は、前記のような目撃状況に関しては言及していなかったことが窺える。そして、平賀は、何かの機会に他の乗務員からもっと殴られていたと言われたことがあるとも述べており、平賀の日本人犯人に関する前記供述は、他の者から聞いたことを自己の記憶と混同した結果によるものであるとの疑いが残るので、これに依拠することはできない。
⑥ 宮下の供述について
証人宮下の供述(第一六回公判調書中の供述部分)によれば、同証人は、本件発生当時、チーフパーサーとして四〇四便に乗務していた者であるが、負傷したため、当時右目の視力が十分でなく、また、床に仰向けに寝た状態で、下から日本人犯人を見ていたなど、その視認状況は必ずしも良いものではなく、日本人犯人の特徴等に関する記憶も明確でないところがある。
したがって、日本人犯人と被告人との同一性の判断においては、宮下の供述に価値を置くことはできない。
(2) 捜査段階における乗客の供述について
被告人の顔写真を含む面割写真帳を示された上、日本人犯人との同一性、類似性を確認した乗客四二名の供述調書が取り調べられている。これらのうち、廣田定一及び廣田フクの供述調書については、どのような写真が示されたのか不明であるため、以下、これを除く四〇名について検討することとする。
その内容は、①写真帳には日本人犯人はいないとする者は国井玄雄及び国井かつの二名、②被告人以外の別人を選んだ者は大瀧信雄の一名、③強いて言えば被告人の写真が似ているとする者は福山辰一郎、影林能次及び伊藤コウの三名、④被告人の写真が似ているとしつつも別人の写真も選んだ者は古武玲子、森田茂及び影林幸代の三名であり、⑤その余の二九名は被告人の写真がよく似ている、一番似ている、そっくりである、間違いないなどとしている。
ところで、これら四〇名の乗客の供述調書は、いずれも、本件後間もない時期に作成されたもので、記憶の鮮明な時期の供述であり、しかも、乗っていた航空機がハイジャックされるという特異な状況の中での体験であることからすれば、乗客らの印象は強いものがあるといえる。
しかし、その反面、サングラスを外した日本人犯人を見ているのは谷平シゲ子と小林義子だけであり、他の者は日本人犯人の素顔を見ていないこと、乗客らの多くは不安や焦燥感あるいは犯人への恐怖心等から日本人犯人をよく見ていなかったなど、その視認状況は必ずしも良くなかったことも認められるので、乗客の犯人識別に関する供述をあまり重視することはできない。
しかしながら、それにしても、四〇名の乗客のうち、二九名が、日本人犯人は被告人の写真とよく似ているなどとし、そのうち、その素顔を見た谷平シゲ子はよく似ている、小林義子はそっくりであるとか同一人物であるとそれぞれ述べており、また、廣田定一及び廣田フクをも含め、乗客の多くが挙げる日本人犯人の特徴は、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらい、やせ型、顔が逆三角形、眉毛が濃い、顎が尖っているあるいは細いという点で共通しており、これらは乗務員の供述とよく符合していることからすると、前記乗務員らの供述の信用性を裏付けるに足りるものである。
(3) まとめ
① 以上のように、乗務員として四〇四便に乗務して、本件犯行に遭遇し、日本人犯人を目撃した六名のうち、小沼、高木、浦野、長谷川の日本人犯人に関する供述は、これを個別的に検討したところでも、いずれも信用するに足りるものであり、しかも、乗務員及び乗客の各供述によると、乗務員らは、ハイジャック発生後も比較的落ちついており、犯人に対しても冷静に対応していたことが認められること、ハイジャックされてから解放されるまで約八七時間という長時間の中で、かつ、犯人の中で日本人は一名しかいないという状況の下で、日本人犯人を目撃している上、ハイジャックされた航空機の乗務員という立場で犯人を観察していたことを考慮すると、その記銘、記憶は相当程度信頼できる条件にあったと認められる。そして、これらの者は、日本人犯人をそれぞれ複数回、それも比較的至近距離から、顔を識別するのに十分な時間、全く独立に、かつ別個の位置から目撃しているところ、その供述の内容も、日本人犯人の容貌、すなわち、身長、体格、眉毛、目、顔の形、顎、髪の毛などについて、詳細かつ具体的にその特徴を指摘しており、その特徴も、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらいである点、体格が痩せている点、眉毛が濃くて太い点、目が大きい点、顎が尖ってしゃくれている点、顔が逆三角形である点で、相互に概ね共通し、被告人を日本人犯人と指摘する各証人の印象は、一致かつ整合している。
しかも、これらの供述の信用性を裏付けるに足りる前記乗客の供述が存在する。
これらの事情からすると、右四名の乗務員の供述の信用性は極めて高いものと認められる。
なお、たしかに、本件では、事件発生時点とこれら乗務員が公判廷で供述した時点では時間的間隔が大きいことが一つの問題ではあるが、本件では、前記のように、乗務員らが日本人犯人を目撃した回数は複数であり、その目撃時間も長く、何よりも乗務員らが日本人犯人を極めて意識的に観察していたことが認められ、これらの事情は、前記の時間的間隔が大きいとの信用性を阻害する事情を補って余りあるものと認められる。
② これに対し、弁護人は、まず、「証拠として法廷に顕出され、かつ、その撮影場所、時期等がはっきりしている被告人の写真四枚のうち、事件当時の被告人の容貌に最も似ているのは被告人が会社に勤務していたときの写真(弁七)、次が被告人が高校生のとき小豆島に行ったときの写真(弁八)、その次が同じ機会に撮影された写真(甲二八九に添付された写真10)、最も似ていないのがパスポートの写真(甲二八九に添付された写真6)である。そして、小豆島で写された二枚の写真は、同一人の写真とするには躊躇するほど相違しており、また、これらとパスポートの写真では、およそ同一人物とは言えないほど相違している。しかるに、前記各乗務員らは、パスポートの写真を見て日本人犯人とそっくりであると言っているのであって、したがって、乗務員らの供述はおよそ信憑性がない。」旨主張する。
しかしながら、事件当時の被告人の容貌に似ている写真の順序が弁護人の主張する順序であるかどうかについては、これを立証する客観的な証拠は全くない。
むしろ、同じ機会に撮影された二枚の写真を「同一人の写真とするには躊躇するほど相違して」いると考えるのは不自然であり、現に弁八の写真と甲二八九添付の写真10とは、眉、鼻、髪型が似ており、全体的な印象からしても、よく似た人物と認められるし、また、会社に勤務していたときの写真(弁七)は、被告人の供述によれば、昭和四六年八月ころ写されたものであるから、それが、犯行時により近接する時期に撮影された前記パスポートの写真(昭和四七年三月に取得された旅券発給申請書に添付されたもので、被告人の供述によれば、その直前に撮影されたもの)よりも本件当時の被告人の容貌に似ていたとする合理性もない(なお、弁護人は、パスポートの写真について、写真館で撮影されたものであるから、修正されている可能性があるとするが、被告人自身、公判廷で、「修正は依頼していない。」と供述しており、当該写真を見ても、仮に修正があったとしても僅かなものと認められる。)。
したがって、弁護人のこの主張は、その前提を欠くものであって、採用できない。
③ また、弁護人は、「乗務員らの供述は、それ自体変遷し、また、相互に矛盾しており、さらに、乗客らが日本人犯人の特徴として挙げている後頭部の生え際や揉み上げの特徴に全く触れていないことからすると、およそ信用することはできない。」旨主張する。
しかしながら、まず、弁護人が指摘する乗務員らの供述の矛盾点のうち、主要な点であるダマスカス空港に駐機中の日本人犯人の行動についての高木、浦野及び長谷川の供述については、すでに述べたとおり、矛盾するものとはいえない。
また、乗務員の供述の中には、たしかに供述に変遷がある者もおり、細部において相互に矛盾するところもあるが、事件発生後証言までに一六年程経過していることを考えると、各証人の記憶が薄れるのはむしろ当然であり、しかも、本件のように、約八七時間もの長時間の間犯罪行為が継続している場合に、そこに展開した出来事の順序、時点、場所等を含むすべてを正確に観察して記憶しかつ再生するということは、困難なことであるから、このような個々の部分的な点について変遷があったり、あるいは相互に矛盾する部分が生じたりすることはむしろ自然なことといえる。
さらに、本件では、乗務員及び乗客らが日本人犯人を目撃した時点や場所は相違しているばかりか、乗務員は、乗客と異なり、日本人犯人の素顔を正対して見ていたのであるから、顔についての印象、記憶が強かったと認められ、したがって、生え際や揉み上げについて触れていないとしても不自然とはいえない。
以上のとおりであるから、弁護人が指摘する点は、前記四名の乗務員の日本人犯人に関する核心的部分の供述の信用性を左右するものではない。
④ さらに、弁護人は、「被告人の現在の容貌は事件当時の容貌と相違しており、その同一性をにわかに認めることはできない。しかるに、前記各証人は、現在の被告人と日本人犯人を、『そっくり』、『似ている』という。したがって、、これら各乗務員らの供述は信憑性がない。」旨主張する。
しかしながら、前記各乗務員らの供述の内容を見ると、事件当時と現在の被告人とでは、体格、髪の毛などに違いがあるとその相違点を挙げた上で、身長、目の大きさ、眉毛の濃さなど、時間の経過によっても比較的その特徴を変えることのない身体の箇所について、それが類似していることを理由として日本人犯人と被告人との同一性を識別していることが認められ、弁護人が主張しているように、「明らかに相違するものを無理矢理決めつけた」ものではない。
したがって、この弁護人の主張も失当である。
⑤ また、弁護人は、「本件以前に被告人は日本赤軍の幹部として指名手配され、その顔写真が、マスメディアはもとより、交番の掲示板等いたる所に掲示されており、本件乗務員及び乗客も全て被告人の顔写真を本件以前に見ていたはずである。しかるに、誰一人犯人を目の前にしてどこかで見た顔であるとの印象を抱いていないのは、被告人が日本人犯人とは別人であることの証左である。」旨主張する。
しかしながら、そもそも前記各証人が被告人の手配写真を本件以前の段階で見ていたとする客観的な証拠はなく、そして、仮に見ていたとしても、その際に自己が搭乗する航空機が日本赤軍によりハイジャックされることを予測していたのなら格別、そのような事態を予測していなかったのであるから、その者がハイジャック犯人であると気づくほど、その写真を記憶に定着させていたとは考えられない。
したがって、前記各証人が、被告人について、どこかで見た顔であるとの印象を抱いていないことは、何ら不自然ではない。
(三) リビア・アラブ共和国に投降した日本人犯人と被告人との同一性
(1) 警察庁警備局公安第三課長作成の『「7.20日航機乗取り事件」犯人の氏名等について』と題する書面(甲七四)添付のリビア・アラブ共和国国家中央事務局からの回答書写し(以下「本件回答書」ともいう。)及びその訳文写し、第四九回公判調書中の証人北澤二郎の供述部分によれば、本件ハイジャック事件により、リビア・アラブ共和国当局に投降した日本人犯人は、自分の氏名・出生地・生年月日等について、次のように供述していることが認められる(括弧内は日本語訳。)。
「氏名:OSAJO MAROKA(オサジョ マロカ)
母親の名前:SHEIKO(シェイコ)
出生地:TOKSIMA(トクシマ)
生年月日:二〇・一〇・一九五〇(一九五〇年一〇月二〇日)
勤務先:YAJI MERCHANTS FIRM AT OSAKO(オサコのヤジ商店) KEYOTO SHE YOUGA MAJINKO…JAPAN(日本…ケヨトシー ヨウガ マジンコ)」
(2) そして、また、戸籍謄本(乙八)によれば、被告人の本籍及び出生地は「徳島県」、生年月日は「昭和二五年一〇月二〇日」、母親の名前は「美智子」であることがそれぞれ認められ、また、被告人の公判供述(第八一回)によれば、被告人は昭和四七年に日本を出国する前においては、「大阪市西区」の「八木商店」に勤務していたことが認められる。
以上からすると、本件回答書の記載内容は、母親の名前が相違するほかは、出生地、生年月日において、被告人のそれに合致し、また、氏名、勤務先において、被告人のそれと音において類似している。
たしかに、本件回答書記載の氏名は「オサジョ マロカ」、勤務先は「オサコのヤジ商店」と、被告人のそれである「オサム マルオカ」、「オオサカのヤギ商店」とは発音が完全に一致するものではない。
しかしながら、本件回答書は、日本人犯人の発音を、アラビア語を母国語とするリビア当局の係官が聞き取り、それを英文で記載して作成されたものであり、右のような発音の不一致は、その過程におけるズレと認めるのが相当である。
(3) 以上のことからすると、本件回答書に記載されたリビア・アラブ共和国に投降した日本人犯人は、被告人であることが認められる。
(4) なお、弁護人は、「警察庁警備局公安第三課長作成の『「7.20日航機乗取り事件」犯人の氏名等について』と題する書面(甲七四)に添付された電信文(本件回答書)は、一般の郵便局ないし電話局から一般電報として発信されており、政府機関が発信したものとしては、その発信態様が極めて不自然であり、この電信文自体およそ信用できないものである。」旨主張する。
そこで、本件回答書の作成経緯についてみるに、証人北澤二郎(第四九回、六一回、六二回)、同横山邦夫(第五一回、五二回)、同岡澤武文(第六一回)の各公判調書中の供述部分、『「7.20日航機乗取り事件」犯人の氏名等について』と題する書面(甲七四)、照会文書の写し三通(甲三二四ないし三二六)、翻訳結果報告書(甲三二七)によれば、それは以下のとおりであることが認められる。
① ハイジャック事件発生後、捜査を開始した警視庁公安部は、四〇四便がベンガジ空港に到着後、犯人グループがリビア・アラブ共和国に投降したことにより、国際刑事警察機構(以下、「ICPO」という。)東京事務局を経由して、リビア・アラブ共和国ICPO国家中央事務局に対し、前記投降者の氏名等本件犯人の特定に関する諸事項を照会した。
② 同照会は、一九七三年(昭和四八年)七月二四日付けを初めとして、合計三回にわたり、国際電報によって行われた〔同照会については、照会書の原本は保管されていないが、ICPOリビア・アラブ共和国中央事務局からの回答書には、受信者として「INTERPOL TOKYO/JAPAN」、発信者として「INTERPOL TRIPOLI L.A.R.」とあり、本文冒頭に「J.NCB.487.73 J.NCB.494.73J.NCB.496.73について」と記載されているところ、警察庁警備局外事第二課内に保管されていた英文の文書(コピー)三通(甲三二四ないし三二六)には、発信者として「INTERPOLJAPAN TOKYO」、あて先として「TO:interpol Tripoli」、文書発信番号として「NR.J―NCB/487/73」、「NR.J―NCB/494/73」、「NR.J―NCB/496/73」と記載されており、前記回答書と発受信者が対応しており、かつ、回答書本文冒頭の番号が文書発信番号と同一であることからすれば、右英文の文書三通が、ICPOリビア・アラブ共和国中央事務局からの回答書に対応する照会文書の写しであることが認められる。〕
③ これに対し、リビア・アラブ共和国ICPO国家中央事務局から、同年八月七日付けの回答書が、ICPO東京事務局に宛てて、国際電報で寄せられた。
④ 同回答書は、同月八日、当時国際電報の受信業務が行われていた新橋国際電報電話局において受信され、その後同局職員により、印字された上、ICPO東京事務局に配達された。
以上の事実が認められる。
これによれば、警察庁警備局公安第三課長作成の『「7.20日航機乗取り事件」犯人の氏名等について』と題する書面(甲七四)に添付された本件回答書の作成経緯には何ら不自然、不合理なところはない。
たしかに、本件回答書は、一般電報として発信されているが、そこには、受信者として「INTERPOL TOKYO/JAPAN」、発信者として「INTERPOL TRIPOLIL.A.R.」と、国家中央事務局相互間の電報であることを示す電報宛名略語の記載があり、また、本文冒頭に「J.NCB.487.73 J.NCB.494.73 J.NCB.496.73について」とICPO東京事務局からの照会文書に記載された文書発信番号と対応する番号が記載されていることから考えて、本件回答が一般電報によりなされているからといって、それがリビア・アラブ共和国ICPO国家中央事務局ではない第三者によって発せられた可能性はない。
なお、弁護人は、本件電信文に発信人個人名が表示されていないことを問題にするが、第六一回公判調書中の証人北澤二郎の供述部分によれば、電信の場合は、料金の関係から、電信宛名略語を用い、発信人個人名は表示されないことが通例となっているのであるから、これは何ら不自然ではない。
さらに、弁護人は、本件回答書を「日本当局ないしその関係者による自作自演の産物である」と主張するが、日本の捜査当局がこの回答書を虚偽に作出したのであるならば、何故に、氏名、勤務先等、その記載内容について、前記のように、被告人のそれと発音が完全に一致するものでない記載をあえてしたのか説明が付かず、弁護人の主張は憶測の域を出ないものである。
(四) まとめ
以上検討したように、①四〇四便の乗務員四名の犯人の目撃及び識別供述、②リビア・アラブ共和国国家中央事務局からの回答書によれば同国に投降した日本人犯人が被告人であると認められることの二点から、本件日本人犯人が被告人であることは明らかである。
2 ダッカ事件について
(一) 犯行の概要
まず、前掲関係各証拠を総合すると、犯罪事実第二記載の事実の犯行状況は、以下のとおりであることが認められる。
① パリ発ボンベイ、バンコック等経由の東京国際空港行き日本航空定期旅客四七二便旅客機(以下、「四七二便」ともいう。)は、昭和五二年九月二八日午前一〇時二二分(日本時間。日時については以下同じ。)ころ、インド国ボンベイ国際空港を離陸した。
当時、同機には、機長高橋重男(以下、「高橋」という。)、副操縦士池上健一(以下、「池上」という。)、航空機関士渡邊慶伸(以下、「渡辺」という。)、パーサー池末武史(以下、「池末」という。)ら乗務員一四名と乗客一四二名(犯人を含む。)が搭乗していた。
② 離陸後十数分して禁煙サインが消えたころ、犯人らは座席から立ち上がり、「ワアー」と叫びながら、手に拳銃及び手りゅう弾を持って、客室前方に駆け寄り、客室乗務員及び乗客に対し、拳銃を向け、手りゅう弾を見せながら、日本語と英語で、「手を上げろ。顔を見るな。下を向け。動くな。」などと言って、乗務員及び乗客を、その両手を頭の後ろに組ませるなどして制圧した。
③ そして、犯人らは、ラウンジにいたアシスタントパーサーの斉藤修二(以下、「斉藤」という。)らに対し、拳銃を突き付けながら、「操縦室の鍵を出せ。」などと言って脅迫し、更に、操縦室の中からドアを開けるように言えと要求し、そのため、斉藤は、インターホンを用いて、運行乗務員に対して、操縦室の出入口ドアを開けるように言った。
④ 操縦室内では、客室から人が言い争うような声が聞こえるなどの様子から、ハイジャック事件が発生したことを察知し、高橋は、ボンベイ国際空港所在の日本航空航務課及びボンベイ地区管制に対し、ハイジャック事件の発生を連絡するとともに、高度を下げ、また、左旋回させることにより同機を定期便の飛行コースから外した。
そして、高橋は、斉藤が、インターホンを通じて、「ハイジャックです。ドアを開けて下さい。開けないと乗客を殺すと言っています。」などと言うので、乗客の安全を考慮し、やむを得ず、渡邊に、施錠されていた操縦室のドアを開けさせた。
⑤ すると、犯人のうち三名くらいが操縦室に乱入し、そのうちの一人が、「なぜドアをすぐ開けなかった。」などと怒鳴りながら、渡邊の後頭部を手拳で数回殴打した。
また、他の一人(以下、「A」という。)は、機長席後方の補助席から、高橋に拳銃を突き付けながら、日本語で、「我々は日本赤軍だ。これだけの武器を用意している。我々の言うことを聞け。我々の指示どおりにすれば、乗客、乗務員の安全は保証する。」などと言って脅迫し、また、機内放送用のマイクを用いて、客室に向けて、英語及び日本語で、「我々は日本赤軍日高隊である。この飛行機は我々がハイジャックした。我々の指示に従ってもらいたい。従わない者は厳重に処罰する。」などと放送し、乗務員及び乗客を制圧した。
そして、Aは、ボンベイ地区管制に対し、「我々はレッドアーミーである。」などと告げてハイジャックを宣言し、同機のコールサインを「日高隊」とし、高橋に対し、バングラデシュ人民共和国のダッカ方向への飛行を指示した。
⑥ この間、他の犯人らは、客室において、乗務員及び乗客に対して、拳銃及び手りゅう弾を用いて脅迫しながら、パスポート、時計、筆記具などを通路に投げ出させて、それを女性の乗客に集めさせ、また、女性又は老人を通路側、若い男性を窓側に着席するように席を移動させた。
⑦ Aらは、高橋に指示し、同機を、バングラデシュ人民共和国ダッカ所在のテジュガオ国際空港(以下、「ダッカ空港」という。)に向かわせ、同日午後二時三一分ころ、同機を同空港に強制着陸させた。
⑧ 犯人らは、同空港に着陸した直後に、同機の乗降口に爆発物を設置した上、乗務員及び乗客に対し、「ドアに爆発物を設置した。危ないから近付かないように。」などと機内放送した。また、Aは、管制塔に対し、「要求した以外に人員及び機材を近づけるな。」「特殊な行動に出た場合は、乗客らもろとも機体を爆破する。」などと通告し、燃料補給、給水、電源車、エアコン車、食料等を要求した。
⑨ その後、Aは、同日午後九時一五分ころ、操縦室から、同空港管制塔を通じ、日本政府に対して、(a)勾留又は受刑中の奥平純三(以下、「奥平」という。)ら九名の釈放及び引渡し、(b)身代金として六〇〇万米ドルの引渡しを要求し、三時間以内に承諾の返事がなければ、乗客を一人ずつ殺害すると通告した。
⑩ その後、犯人らは、日本政府に要求の承諾を強く迫るとともに、乗務員及び乗客から集めたパスポートを整理して、「処刑リスト」を作成し、管制塔に対し、「要求がいれられない場合には、ガブリエルを処刑する。」などと通告した。
⑪ これに対し、日本政府は、結局、犯人らの要求に応じることに決定し、現金の用意及び奥平らに対する出国意思の確認、在監施設から東京拘置所への移監などの手続を進め、また、要求の受け入れをバングラデシュ政府を通じて犯人らに伝えた。
⑫ そして、犯人らから釈放要求のあった九名のうち、出国意思を表明した奥平ら六名が、同年一〇月一日、政府代表団、現金六〇〇万米ドルとともに、日本航空特別機でダッカ空港に向かった。
⑬ 日本航空特別機は、一〇月一日昼ころ、ダッカ空港に到着した。ところが、管制塔と犯人らとの間で、奥平ら釈放犯の引渡し及び乗客らの解放の方法等について折り合いがつかず、膠着状態になった。
そこで、犯人らは、同機を滑走路中央部まで移動させて離陸するかのように装い、また、前記ガブリエルを操縦室内に連行して、拳銃を突き付けて、犯人の要求に従わなければ処刑される旨訴えさせるなどした。
⑭ その後、犯人らと管制塔との間で、釈放犯及び現金と乗客らの交換方法についての交渉がまとまり、釈放犯一名に乗客一〇名の割合で順次交換が行われ、結局、釈放犯六名及び現金六〇〇万米ドルと乗客五五名及び乗務員五名の合計六〇名の交換がなされた(なお、このときまでにすでにこのほかに一一名の乗客が解放されている。)。
⑮ そして犯人らは、その後、乗務員の交替に同意し、機長桜庭邦悦(以下、「桜庭」という。)、機長中村良人、航空機関士松井桂の搭乗と引換えに、乗客四二名及び乗務員五名の合計四七名を解放し、同月三日午前零時一三分ころ、同機をクウェイトに向けて離陸させた。
⑯ 犯人らを乗せた同機は、同月三日午前八時五分ころ、クウェイト国のクウェイト国際空港に着陸して、燃料の補給と乗客七名の解放をし、さらに、同日午前九時五二分ころ、同空港を離陸してシリア・アラブ共和国のダマスカス国際空港に向かい、同日午後零時二六分ころ、同空港に着陸し、燃料、食料及び飲料水の補給と乗客一〇名の解放をし、さらに、同日午後六時一五分ころ、同空港を離陸し、同日午後一一時一七分ころ、アルジェリア民主人民共和国アルジェ所在のダル・エル・ベイダ空港に着陸した。
⑰ 同空港に着陸後、Aは、日本語等により、機内マイクを用いて、日本の政治体制の批判などの演説を行った後、乗務員、乗客を解放する旨宣言し、釈放犯らとともに同機を降りて、立ち去った。
(二) 乗務員及び乗客が目撃したリーダー格の犯人(前記A)と被告人との同一性
以上のように、本件犯行においては、ほとんど操縦室内にいて、ハイジャック宣言をし、また、管制塔との交渉などの役割を担ったリーダー格の犯人(前記A)がいたが、このリーダー格の犯人を目撃した状況及びリーダー格の犯人と被告人との同一性識別に関しては、澤田隆介(以下、「澤田」という。)ら乗務員五名の証言と牟田幸雄ら乗務員三名及び渡辺公徳ら乗客五名の捜査段階における供述がある。
そこで、以下、これら乗務員及び乗客の目撃供述について検討する。
(1) 公判廷における乗務員の供述について
① 澤田の供述について
(a) 供述の要旨
証人澤田の供述(第三九ないし四二回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
犯人達は、飛行機をハイジャックした後、乗客にパスポートを出させたり、シートチェンジをした後、時計や筆記具を出すよう要求した。しかし、自分は、証拠を書き残すため、持っていたボールペンは提出しなかった。
ダッカ空港に駐機中、乗客は自由に機内を歩くことができなかったが、私が日本航空の機長であることが分かってからは、比較的自由に機内を歩くことができるようになり、少なくとも五、六回操縦室に入った。
まず、肩章を取るのと操縦室がどのようになっているかを知るために、操縦室に入った。このとき、操縦室には、高橋機長、池上副操縦士、渡邊航空機関士のほか、機長の後ろのオブザーブシートに、犯人A(リーダー格の犯人)が座っていた。このとき外は明るく、操縦室内は、顔を十分判別できる明るさだった。
つぎに、犯人Aに指示されて、アメリカ人の人質を操縦室まで連れていく手伝いをした。
さらに、人質の交換が行なわれている間、犯人B、Cに指示され、上口副操縦士と一緒にフライトプランを作った。そして、ダッカ空港を出発するにあたり、新しい乗務員や燃料、さらに機体の外部点検等これからの飛行に必要な事項を紙に書き、それを操縦室に持っていき、オブザーブシートに座っていた犯人Aに要求した。この要求のために、犯人Aとは三回くらいやり取りをした。操縦室内の照明は点灯されていたかは覚えていないが、見える状態であった。
ダッカ空港を離陸する際は、副操縦士席で飛行機の操縦にあたった。このとき、犯人A、Bも操縦室内にいた。
離陸後、ダッカ空港で飛行機に乗り込んできた中村機長と操縦を代わった。アルジェ空港で犯人たちが飛行機から出ていく際には、操縦席や、前の入り口のところで犯人たちを見た。
犯人Aは最初マスクとサングラスをしていたが、その後、サングラスを外したり、マスクを外した顔も見た。犯人Aとは解放されるまで相当な回数会っている。素顔の状態で対面し、話したこともある。
犯人Aは、着衣が黄色の長袖シャツ、身長が一六〇センチメートルくらいで、痩せ型、年齢は二七、八歳から三〇歳くらい、顔が逆三角形型の顔形をしており、眉毛が濃かった。
また、犯人Aは、左耳の後ろの髪の生え際の近くにほくろがあった。このほくろは、操縦室に自由に出入りできるようになってから気付いた。犯人Aは機長席の後ろのオブザーブシートに座っていたので、高橋機長に説明したり、何かするたびに、犯人の後ろに立って見た。このほくろは、一個で、マッチ棒よりも若干小さいくらいで、黒っぽい色だった。
さらに、犯人Aは、話したあと、唇を横に引っ張るというような口の結び方をする癖があった。
そして、事件の最中に、犯人たちの特徴、言動、起こった出来事、時間を単行本の「燃えよ剣下巻」(甲二九八)、メニューリスト、週刊誌の一部に書いた。犯人Aの特徴については、右の「燃えよ剣下巻」の表紙に、「黄色」「Leader?」「Cockpitにいる」と書き、そのほくろについては、絶対的な証拠になると思い、「燃えよ剣下巻」の七五ページに、後頭部の図面を書き、その中に記載しておいた。
被告人は、犯人Aと同一人物である。被告人は中年で少し太ってきており、そこは違うが、眉毛と口を結んだところが犯人Aによく似ている。
また、一昨年、警視庁で面通しをした際、被告人の左耳の後ろに、位置、大きさが犯人Aと同じほくろがあることを確認した。
また、事件後間もない時期に検察官から事情聴取をされたとき、約一〇枚くらいの写真を見たが、その中に犯人Aの写真があった。
(b) 供述の信用性
澤田は、本件発生当時、日本航空の機長であって、デッドヘッドクルーとして四七二便に搭乗していた者であるが、リーダー格の犯人(前記「犯人A」)とは、①ダッカ空港に駐機中、肩章を取るのと操縦室の様子を知るために、操縦室に入ったとき、②ダッカ空港を離陸する準備のため、新しい乗務員や燃料、更に機体の外部点検等これからの飛行に必要な事項の要求をしたときに、それぞれ顔を合わせており、その回数は、少なくとも五、六回はあるとしており、目撃回数は多い。そして、澤田の供述によると、このとき、リーダー格の犯人は、いずれも、操縦室の後ろのオブザーブシートに座っており、航空機関士席の後ろにいた澤田と犯人Aとの距離は、二、三〇センチメートルくらいというのであって、非常に接近した状態であったと認められる。そしてこのとき操縦室内の明るさについて澤田は、「顔を十分判別できる明るさだった。」、「見える状態であった。」と供述しており、顔の特徴を視認しうる明るさにあったと認められる。このような、目撃回数の多さ、目撃距離の短さ、目撃現場の明るさなどから考えて、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
しかも、澤田供述のうち、「犯人Aは、左耳の後ろの髪の生え際の近くに、一個、マッチ棒よりも若干小さいくらいで、黒っぽい色のほくろがあった。それも、『燃えよ剣下巻』に記載しておいた。」とする部分は、同人の供述どおりの記載がある当時同人が所持していた新潮文庫「燃えよ剣下巻」(甲二九八)が存在すること、写真撮影報告書(甲二一九)添付の写真(三枚目及び四枚目)によると、被告人の左耳の後ろ側にほくろが存在するという客観的事実にも符合し、これは、右写真撮影報告書作成者の星野希一郎の供述(第四八回公判調書中の供述部分)によれば、被告人のほくろは、1.2の視力では、一メートル以上離れていても分かるということによっても裏付けられている。
さらに、澤田は、リーダー格の犯人の特徴について、身長、体型、年齢、顔の形、眉毛などについて詳細かつ具体的に供述していることが認められ、このような澤田の供述内容、犯行時における行動から判断して、澤田がリーダー格の犯人を非常に意識的に観察しており、その記銘及び記憶は正確なものであると認められる。
なお、弁護人は、「『燃えよ剣下巻』(甲二九八)の七五ページに記載されたほくろについては、犯人のうちの誰のものであるか特定されておらず、これがリーダー格の犯人のものであるか疑わしい。また、ほくろの発見、確認、文庫本への書き込み時期に関する澤田証言は支離滅裂であり、信用できない。おそらく澤田は日本に帰国してからこれを書き込んだものである。」と主張する。
しかしながら、まず、このほくろがリーダー格の犯人のものであるかどうかについては、「燃えよ剣下巻」(甲二九八)の内表紙には「黄色」「LEADER?」「CocKPiTにいる。」と記載されており、これが澤田が認識していたリーダー格の犯人であるところ、その九二ページには逆三角形の形(これは、澤田の供述によると、後ろから見たリーダー格の犯人の頭の格好であることが認められる。)と「黄」との記載があり、この逆三角形の形は、七五ページに記載された頭の格好と類似している上、前述のように、客観的な目撃条件及び主観的な目撃条件とも良好であった澤田が、発見したときの気持ちを、「やったと思いました。」などと供述しているように、これを強く記銘していたことが認められ、この特徴の対象を間違えているとは考えられない。また、写真撮影報告書(甲二一九)添付の写真(三枚目及び四枚目)によれば、「燃えよ剣下巻」(甲二九八)の七五ページ部分に描かれたほくろとほぼ同じ位置に被告人にほくろがあることが認められることからすれば、この特徴は、リーダー格の犯人、すなわち、被告人のものであると認められる。
つぎに、ほくろの発見、確認、文庫本への書き込み時期に関する澤田の供述の信用性であるが、たしかにこの点に関する澤田の供述には不明確な点がある。
しかしながら、澤田が公判廷で証言したのは、本件後、約一三年を経過した後のことであり、また、本件のように五日間を超える長時間の間、そこに生じた出来事の全てを正確に記憶しかつ再生することは、実際には困難であって、個々の部分的な点について不明確なところが生じることは自然なことともいえる。
また、弁護人は、席替え後に文庫本をどのようにして手に入れたかについて、澤田は「(文庫本は)穂刈に持ってきてもらった」旨供述しているが、穂刈はその記憶はないと供述していることを問題にする。
しかしながら、穂刈は、「(澤田から文庫本を受け取ったことは)あったかもしれないが、現在はっきりした記憶としては覚えていない。」と供述しており、絶対にありえない、そのような可能性はない、と供述しているのではない。
そして、川上一男の警察官調書(甲三三七)によると、澤田は事件の内容の詳細を週刊誌にメモしており(前記のように、この点は澤田供述と一致している。)、川上自身、そのメモが書かれた部分だけ切り取ったものを預かったというのであって、このことからすると、本件当時、澤田はメモを残しておく余裕があり、実際にメモを残していたことが十分に窺われるし、現に「燃えよ剣下巻」(甲二九八)の七四ページには、時刻と出来事の記載があり、このような記載は帰国後記入できるものとは認められない。
以上のことから考えると、前述のように、澤田の供述は信用でき、本件文庫本への記載は、弁護人が主張するように澤田が日本に帰国してからのものではなく、事件の最中に機内でなされたものと認められる。
② 池上の供述について
(a) 供述の要旨
証人池上の供述(第二八、三〇、三五回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
ボンベイ空港を離陸して十一、二分経ったころ、操縦室の入口のドアの外で人の言い争う声が聞こえてきた。ものすごい言い争いだったのでハイジャックされたと分かった。
すると、覆面をした男と覆面をしていない男(リーダー格の犯人)が二人、拳銃を持って操縦室に入ってきた。覆面をしていない男はハンチングをかぶり、サングラスをかけていた。覆面をしていない男は、その後、高橋からマイクロホンを取り上げ、機内放送でハイジャック宣言をするなどした。
飛行機は、その後、ダッカ空港に着陸した。ダッカ空港に駐機中は、解放されるまで、トイレに行くなどしたほかは副操縦席に座っていた。覆面をしていない男は、ほとんど操縦室内におり、また、他の犯人にいろいろと指図をしていたのでリーダーだと思った。
覆面をしていない男は、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルの間で、顔は逆三角形のような形をしており、口が割りと大きく、睫毛が長かったように記憶している。睫毛は、横を向いたとき、サングラスの後ろから見えるので、特に印象に残っている。
被告人は、覆面をしていない男にほぼ間違いないと思うが、現在は、頭も禿げ、身体もそれ程痩せていないので、断定はできない。顔を見たときの全体の雰囲気は非常に似ており、特に口元が似ている。
(b) 供述の信用性
池上は、本件発生当時、副操縦士として四七二便に乗務していた者であるが、リーダー格の犯人とは、①ハイジャック当初、リーダー格の犯人が覆面をした男とともに拳銃を持って操縦室に入ってきたとき、②ダッカ空港に駐機中に、操縦室内で顔を合わせており、その回数は、「『数回』と『数えきれないくらい』の中間ぐらい、顔と顔が向き合った」と供述するように、少なくとも複数回であり、その時間は、「少なくとも一分くらい顔を正対させたことがあった。」としており、顔を識別することのできる時間であり、さらに、当初、リーダー格の犯人が操縦室内に入ってきたとき、リーダー格の犯人は「機長席と副操縦士席の間の計器の後ろあたり」におり、池上とリーダー格の犯人とは、「距離にして一メートル前後」と供述するように、非常に接近した状態であったと認められる。このような目撃回数、目撃時間、目撃距離の短さなどから判断して、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、池上は、リーダー格の犯人の特徴について、身長、顔の形、口、睫毛について、前記のように、詳細かつ具体的に供述していることを考えると、池上は、犯人の特徴を強く記銘し、その記憶の正確性も高いと認められる。
以上のことから、池上のリーダー格の犯人に関する供述の信用性は高いものと認められる。
③ 池末の供述について
(a) 供述の要旨
証人池末の供述(第三二、三三回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
飛行機がハイジャックされてダッカ空港に向けて飛行中、犯人の一人に拳銃の台尻で頭部を殴られ、傷口から出血したことがあった。このことで、ダッカ空港着陸後、三、四人の犯人が代わる代わる謝りに来たが、この中にリーダー格の犯人もいた。
また、ダッカ空港で解放されることになった際、まだ多数の乗客が機内に残っていたので、斉藤と共に行ったと思うが、客室の一番前まで行って、リーダー格の犯人に、「最後まで残る。」と言ったところ、「そんなことを言われても困る。高橋機長と話してください。」と言われたことがあった。このとき、リーダー格の犯人とは一メートル以内の距離であり、また、客室内も、顔が識別できる程度の明るさだったので、相手の顔は見えた。このときは強烈に一番印象深く覚えている。
その他、リーダー格の犯人とは、ダッカ空港に駐機中、犯人達の日本政府に対する要求がなかなか受け入れられず、乗客の代表が管制塔とやり取りをした後のときに一回と、解放されたときに一回会っている。
リーダー格の犯人の身長は一六〇センチメートルくらいで、いつもハンチング帽をかぶっていた。覆面はしていなかった。眉毛は濃く、目は大きくぱっちりしていて、睫毛が長く、口元は歯の上のほうがやや前の方に出ており、顔は逆三角形だった。肌はこんがりと褐色に日焼けしていた。通常はサングラスをかけていたが、一、二回サングラスを外した顔も見ている。しかし、どこで見たかは記憶していない。
被告人は、リーダー格の犯人と、目がぱっちりしているところ、眉毛が濃いところ、口元の辺りに似たところはある思うが、砂漠焼けというか、精悍な肌と、きりっと締った体型ときらっと光った目付きと比べると、断定はできないが、今言ったあたりに見覚えがある。
(b) 供述の信用性
池末は、本件発生当時、チーフパーサーとして四七二便に乗務していた者であるが、リーダー格の犯人とは、①ダッカ空港着陸後、リーダー格の犯人が謝りに来たとき、②ダッカ空港で解放されることになった際、「最後まで残る。」とリーダー格の犯人に話しに行ったとき、③ダッカ空港に駐機中、乗客の代表が管制塔とやり取りをした後のとき、④解放されたときの合わせて四回にわたり顔を合わせており、目撃回数は多い。そして、特に、②のときには、顔が識別できる程度の明るさの中で、一メートル以内の距離で、「最後まで残る。」、「そんなことを言われても困る。高橋機長と話してください。」などと会話をしており、目撃距離は短く、また、目撃現場も明るく、さらに、目撃時間も顔を識別することのできる長さであったと考えられ、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、池末は、リーダー格の犯人の特徴について、その身長、眉毛、目、睫毛、口元、顔の形、肌の色などについて、前記のように、詳細かつ具体的に供述していることを考えると、池末は、犯人の特徴をよく記銘し、その記憶の正確性も高いと認められる。
以上のことから、池末のリーダー格の犯人に関する供述の信用性は高いものと認められる。
④ 斎藤の供述について
(a) 供述の要旨
証人斉藤の供述(第三六、三七回公判調書中の供述部分)によれば、同証人の供述は、大要、以下のとおりである。
ダッカ空港に駐機中、機長らに飲み物を提供するため、二回くらい操縦室内に入った。操縦室内には、高橋機長、池上副操縦士、渡邊航空機関士のほか、サングラスをかけ、ハンチングをかぶった犯人(リーダー格の犯人)が、オブザーバーシートに座っていた。その犯人は、ほとんど操縦室内におり、覆面はしていなかった。
また、ダッカ空港で解放される際、ファーストクラスと操縦室の間の辺りで、その犯人に、乗客と一緒に降りるよう言われたので、池末パーサーと一緒に、「機内に乗客を残しては降りられない。」旨答えたところ、「機長に話してくれ。」などと言われたことがあった。
操縦室内にいた犯人の背丈は、私(身長一六八センチメートル)とさほど変わらないと思う。顔は逆三角形の形をしていた。最初はサングラスをかけていたが、外しているところも一、二回見た。長くて濃い眉毛が非常に印象的に記憶に残っている。また、痩せているという印象も受けた。
被告人は、眉毛のところが操縦室内にいた犯人と似ているが、顔全体の感じはずいぶん違う。その犯人は顔が逆三角形で顎が尖っている感じだったが、被告人の顔はそういう形はしていない。被告人は、操縦室内にいた犯人と似ているが、同一人であるかは今見た感じでは分からない。
(b) 供述の信用性
斉藤は、本件発生当時、日本航空にアシスタントパーサーとして勤務し、四七二便にはパーサーデューティーとして乗務していた者であるが、リーダー格の犯人とは、①ダッカ空港に駐機中、機長らに飲み物を提供するため、二回くらい操縦室内に入ったとき、②ダッカ空港で解放されたときに顔を合わせており、目撃回数は複数回である。そして、特に、②のときには、「機内に乗客を残しては降りられない。」、「機長に話してくれ。」などと会話しており、その目撃距離は短く、また、この会話内容から判断して、目撃時間は顔を識別するのに十分な長さであったと考えられ、その客観的な目撃条件は良好であったと認められる。
また、斉藤は、リーダー格の犯人の特徴について、その身長、顔の形、眉毛、体格などについて、前記のように、詳細かつ具体的に供述していることを考えると、斉藤は、犯人の特徴をよく記銘し、その記憶の正確性も高いと認められる。
以上のことから、斉藤のリーダー格の犯人に関する供述の信用性は高いものと認められる。
⑤ 桜庭の供述について
証人桜庭の供述(第二九、三一回公判調書中の供述部分)によれば、桜庭は、本件発生当時、ダッカから機長として四七二便に搭乗していた者であるが、リーダー格の犯人とは、①ダッカ空港離陸後、操縦を交替していた際、リーダー格の犯人に呼ばれ、ラウンジに行ったとき、②ダマスカス空港を離陸後、操縦を交替し、客室に移動していた際、操縦室入口のギャレー付近で、飛行機の進路について相談したときに顔を合わせており、リーダー格の犯人は被告人と目と眉毛が似ていると供述している。
しかしながら、桜庭の証人尋問の内容等に照らすと、同人は、事件後間もない昭和五二年一〇月一八日の検察官の取調べにおいては、リーダー格の犯人の特徴として、目、眉毛及び顎については言及しておらず、被告人を面通しした際の昭和六二年一二月八日の検察官の取調べになってその点に触れていることが窺える。そして、桜庭がサングラスを外した際の犯人の顔を見ていないことをも考慮すると、その供述のうち、リーダー格の犯人の目、眉毛等の特徴については、事後の情報による印象等が混在しているおそれがあるといえる。
したがって、目及び眉毛が似ていることを挙げてリーダー格の犯人は被告人と似ているとする桜庭の供述は、犯人の同一性を確認する上では、信用のおけるものとはいえない。
(2) 捜査段階における乗務員、乗客の供述について
リーダー格の犯人と前記昭和四七年三月に取得された被告人名義の旅券発給申請書に添付された被告人の写真と認められるものとの同一性について、牟田幸雄、竹下秀春及び上口外洋男の乗務員三名(いずれもデッドヘッドクルー)及び渡辺公徳、カレビアン・ウオルター、川上一男(以下、「川上」という。)、マクリーン・ウィリアム・ドナルド(以下、「ドナルド」という。)及びジョン・ガブリエル(以下、「ガブリエル」という。)の五名の乗客の供述調書等が取り調べられている。これらの者のうち、川上はよく分からないとし、また、ガブリエルは断定できないとしているが、他の六名は似ているあるいは間違いないとしている。そして、リーダー格の犯人を目撃した状況が不明であるドナルドを除く五名は、その目撃状況も良好であり、また、その多くの者が複数回リーダー格の犯人を目撃しており、特徴として挙げる点も、犯人の中で二〇番あるいは二〇番台と呼ばれていた男で、ほとんど操縦室におり、身長一六〇センチメートルから一六八センチメートル、やせ型、逆三角形の顔で顎が尖っていて、ハンチングを被り、サングラスをかけ、覆面はしていなかったとする点で共通しており、かつ、これら犯人の識別、特徴に関する供述がいずれも本件後間もない時期のものであり、しかも、搭乗していた航空機がハイジャックされるという特異な状況の中での体験であることからして、その印象は強いものがあることを考慮すると、その供述の信用性は高いといえる。
なお、分からないとする川上は、リーダー格の犯人が乗客の荷物をラウンジに運んでいくのを一回見ただけであり、また、ガブリエルは、かなりの時間が経過しているので断定できないと述べているところ、同人の供述は事件から三か月程してからのものであることやリーダー格の犯人を目撃した際には拳銃を突き付けられて犯人の要求に従わなければ処刑される旨訴えさせられていたという状況にあったことを考慮すると、この二名がこのように供述することもやむを得ないところがあるといえる。そして、両名の挙げるリーダー格の犯人の特徴は、他の者が挙げる前記特徴と齟齬はない。したがって、この両名の供述は、他の乗務員、乗客の供述の信用性を減殺するものではない。
結局、川上及びガブリエルを除く他の乗務員、乗客の供述は、前記澤田ら四名のリーダー格の犯人の識別供述の信用性を裏付けるに十分なものといえる。
(3) まとめ
① 以上のように、乗務員として四七二便に乗務して、本件犯行に遭遇し、リーダー格の犯人を目撃して、その目撃状況及び被告人との同一性識別につき公判廷で証言した五名のうち、桜庭を除く四名の供述は、個別的に検討したところでもそれを信用するに足りるものであり、また、これらの者は、いずれも乗務員として本件四七二便に搭乗していたところ、それまで経験したことのないハイジャックという異常事態に遭遇し、不安感を抱きつつも、乗務員及び乗客の供述によると、乗務員らは比較的落ちついて事態に対応していたことが認められること、解放されるまでの相当長時間の中で犯行状況や犯人の容貌等を強い印象をもって観察していたことからすると、その記銘、記憶は信頼できるものといえる。そして、本件ハイジャック犯人の中でリーダー格と思われる犯人とそれぞれ複数回にわたって接触する機会があり、それも比較的至近距離から、顔を識別することのできる時間、全く独立に、かつ別個の位置から犯人を目撃しているところ、その供述の内容も、リーダー格の犯人の容貌、すなわち、身長、体格、顔の形、眉毛、顎、目などについて、詳細かつ具体的にその特徴を供述しており、その特徴も、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらいである点、体格が痩せ型である点、顔が逆三角形である点、眉毛が濃い点、顎が尖っている点、目が大きい点で相互に概ね共通し、被告人をリーダー格の犯人と指摘する各証人の印象は、一致かつ整合している。
しかも、これらの供述の信用性を裏付けるに十分な前記乗務員、乗客の供述が存在する。
これらの事情から考えると、四七二便に搭乗していた澤田ほか四名の乗務員の供述の信用性は極めて高いものと認められる。
なお、本件では、事件発生時点と乗務員らが公判廷で供述した時点では時間的間隔が大きいが、前記のように、乗務員らがリーダー格の犯人を目撃した回数は複数回であり、その目撃時間も長く、何よりも乗務員らがリーダー格の犯人を極めて意識的に観察していたことが認められ、これらの事情は、前記の時間的間隔が大きいとの信用性を阻害する事情を補って余りあるものと認められる。
したがって、このような乗務員らの目撃証言の総合によって、被告人が本件リーダー格の犯人であると認めることができる。
② これに対し、弁護人は、「証拠として法廷に顕出された被告人の写真のうち、事件当時の被告人の容貌に最も似ているのは昭和四六年夏に撮影された写真(弁七)であり、パスポートの写真(甲二八九に添付された写真6)は、被告人の当時の容貌を正確に伝えているとはいいがたい。しかるに、前記各証人は、パスポートの写真を見て日本人犯人とそっくりであると言っており、したがって、各証人の供述はおよそ信憑性がない。」旨主張する。
しかしながら、その主張が前提を欠くものであることは、既に「1ドバイ事件について」の(二)(3)②で述べたとおりである。
(三) まとめ
以上検討したように、澤田、池上、池末及び斉藤の犯人目撃及び被告人との同一性識別に関する供述によって、本件リーダー格の犯人が被告人であることは明らかである。
3 旅券法違反事件について
(一) 不正に旅券の交付を受けた点
(1) 前掲関係各証拠によれば、本件で、伊良波秀男(以下、「伊良波」という。)の一般旅券の取得に必要な同人の戸籍謄本等の書類を受け取った人物は、田中と名乗る男であるところ、その斡旋をした仲島弘和(以下、「仲島」という。)は、田中なる人物と、①昭和六二年七月上旬ころ、シェラトン沖縄ホテルで会い、②同月一三日、伊良波と共に、モスバーガーコザ店で会い、同人の戸籍謄本等の必要書類を手渡し、③同月二五日、同店で会い、旅券発給申請の確認のための葉書を手渡した際の合計三回会っており、その時間は、それぞれ、約一時間、約三〇分、約一〇分と相当長時間であったこと、そして、第五六回公判調書中の証人仲島の供述部分によれば、仲島は、田中なる人物の年齢、容貌の特徴等を挙げた上で、田中なる人物と被告人との同一性はほぼ間違いないと思うと供述していること、また、伊良波も、その検察官調書謄本(甲三一二)において、被告人の写真を示されて、田中なる人物に間違いないと述べていること、更に、「外国人出入国記録調査書」と題する書面謄本(甲二三六)、外国人入国記録(甲三一四)、第五八回公判調書中の証人小坂重孝の供述部分、第六〇回公判調書中の証人小林泰徳の供述部分によれば、被告人が、「ALCANTARA BENJAMIN E」の名前で、昭和六二年六月二一日、日本に入国しており、その後、同年一一月二八日までの間に、右「ALCANTARA BENJAMIN E」名での出国の事実はなく、仲島及び伊良波が田中なる人物に会ったころ、被告人が日本にいた事実を認めることができる。
以上のことから、田中なる人物は被告人であると認められる。
(2) 小関利武(甲二五一、二五二)、内嶺信廣(甲二五四)、与那嶺武子(甲二五五)の検察官調書謄本によれば、本件旅券発給申請は、申請者本人によってされているが、本人による申請の場合、受付担当係員は、書類の点検等に加えて、申請書に貼付されている写真と申請者との同一性を確認した上で、これを受理する手続となっており、本件においても、これらの手続がなされていると認められるところ、写真撮影報告書(甲二二六)添付の写真によれば、本件一般旅券発給申請書には、被告人が所持していた本件数次旅券(甲二二三)に貼付されている写真と同じ写真である被告人の写真が貼付されていることが認められるから、本件旅券発給申請書の提出者が被告人であることは明らかである。
また、前記小関利武、内嶺信廣、与那嶺武子の検察官調書謄本によれば、旅券は、旅券発給申請者が、予め旅券事務所から郵送された葉書をもって旅券事務所に出頭し、旅券交付係員が、旅券に貼付されている写真と出頭者との同一性を確認した上で、これを交付する手続となっていることが認められるところ、本件では、旅券交付担当係員が特定されていないことから、右確認手続が履践されたかは必ずしも明らかではないが、内嶺が、「旅券の交付の際には必ず本人に出頭してもらい、旅券に貼付した写真と出頭した者との同一性を確認して交付しなければならないことになっている。」と供述していることからしても、本件においてもこの手続がなされたといえ、そして、数次旅券(甲二二三)によれば、本件旅券には被告人の写真が貼付されていることが認められる上、前記のとおり、旅券発給申請の確認のための葉書は、被告人である田中なる人物が仲島から受け取っているのであるから、本件旅券の被交付者が被告人であることは明らかである。
(3) 以上のことから、本件で、前記方法により不正に旅券の交付を受けた者は被告人であることが認められる。
(二) 他人名義の旅券を行使した点
(1) 数次旅券(甲二二三)、写真撮影報告書(甲二四四)添付の写真1、3(日本人出国記録)及び写真2、4(日本人帰国記録)、「日本人出帰国記録調査書」と題する書面(甲二四一)、証拠品複製報告書(甲二四七)添付の「乗客名簿の写し」、捜査報告書(甲二四八)によれば、「伊良波秀男」なる人物は、①昭和六二年八月三日、成田から香港に向けて出国、②同月一八日、香港から成田に帰国、③同月二四日、成田から中国に向けて出国、④同年一一月二一日、香港から成田に帰国しており、その都度、新東京国際空港において、本件旅券を入国審査官に示して行使したことが認められる。
また、写真撮影報告書(甲二四四)添付の前記「日本人出国記録」及び「日本人帰国記録」によれば、そこに記入された各署名は、一見して同一人物による筆跡であることが認められる。
さらに、証人塚谷の公判供述、本田の裁判官面前調書(抄本、三通)によれば、被告人は、昭和六二年一一月二一日、公務執行妨害罪により逮捕された際、本件旅券を所持していたことが認められ、また、被告人自身、同日、帰国するに際し、同旅券を携帯し、それを入国審査官に示して入国したことを認めている。
(2) 以上のことから、判示のとおり、被告人が本件旅券を入国審査官に示して行使したことは明らかである。
(三) 違法性、期待可能性がないとの点
(1) 弁護人は、旅券法違反の事実について、「被告人は昭和四七年四月、数か月後に帰国する予定で出国したところ、日本政府は、同年六月、被告人を『リッダ闘争』(『テルアビブ空港事件』)の関係者でないことを十分知悉していたにもかかわらず、関係者であるとして国際手配した上、同年一〇月には同事件の共同正犯として国際手配し、さらに、ドバイ事件及びダッカ事件によって国際手配した。この不当な国際手配により、被告人は合法的に帰国する途を絶たれ、被告人が帰国するためには、自己の氏名を偽って帰国するしか方法がなく、本件行為は、国家によって不当に奪われた帰国する権利を回復するために被告人に残された唯一の手段であって、そこには違法性及び期待可能性がなく、被告人は無罪である。」と主張する。
(2) しかしながら、前記二1(二)、二2(二)のように、ドバイ事件及びダッカ事件の後、間もない時期にそれぞれの航空機の乗務員及び乗客の多数が、ハイジャック犯人の一人が被告人である旨供述していたことが認められることからして、被告人が右二件のハイジャック事件に関与した疑いが極めて濃厚であって、このような状況のもとで日本政府が被告人を国際手配したとしても、それは当然の措置といえ、何ら不当なものではない。
したがって、国際手配が不当であることを前提とする弁護人の主張は採用できない。
なお、仮に、被告人が国際手配の不当性を主張したいのであれば、適法な方法によって帰国した上で主張することも可能であって、この点からも弁護人の主張は採りえない。
(法令の適用)
罰条
第一及び第二の行為 刑法六〇条、航空機の強取等の処罰に関する法律一条一項
第三の行為
不正に旅券の交付を受けた点
行為時 刑法六〇条、平成四年法律第三五号による改正前の旅券法二三条一項一号
裁判時 刑法六〇条、旅券法二三条一項一号
刑の変更 刑法六条、一〇条
軽い行為時法の刑による
他人名義の旅券を各行使した点
行為時 それぞれ平成四年法律第三五号による改正前の旅券法二三条一項二号
裁判時 それぞれ旅券法二三条一項二号
刑の変更 刑法六条、一〇条
軽い行為時法の刑による科刑上一罪の処理
第三について 刑法五四条一項後段、一〇条(全部を一罪として犯情の最も重い不正に旅券の交付を受けた罪の刑で処断)
刑種の選択
第一の罪 有期懲役刑
第二の罪 無期懲役刑
第三の罪 懲役刑
併合罪の処理 刑法四五条前段、四六条二項本文(第二の罪の無期懲役刑に処し、他の刑を科さない)
未決勾留日数の算入 刑法二一条
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書
(量刑事情)
一 本件は、被告人が、ドバイ事件及びダッカ事件と称せられる二件のハイジャック事件に実行正犯として関与し、また、不正に他人名義の旅券を取得した上、それを四回にわたり使用したという事案である。
二 ハイジャック事件、特に本件のような旅客機に対するそれは、多数の乗客、乗務員を航空機内に人質にとり、これらの者の安全を盾に自己の目的を遂げようとする悪質な犯行であり、重要な交通手段である航空輸送の秩序と安全に重大な脅威と侵害を与えるばかりか、乗客、乗務員の行動の自由、生命、身体の安全を著しく脅かし、航空会社等に対しても多大な負担を強いるものであって、このような犯行に対しては、強い非難が加えられなければならない。
三 そして、本件は、いずれも、日本赤軍に所属する被告人が、自らの主義、主張に基づく目的実現のため、それと全く無関係の多数の人々を人質にして行われた組織的かつ計画的な犯行であり、目的のためには手段を選ばないという極めて自己中心的な犯行であって、動機において酌量の余地はない。
また、犯行の態様も、いずれも、乗客を装って航空機に乗り込み、航行中の航空機内において、あらかじめ携帯、準備していた拳銃、手りゅう弾等をもって多数の乗客、乗務員に暴行、脅迫を加えるなどして、その反抗を抑圧し、婦女子らもろとも、全くの第三者である乗客、乗務員を人質にして、不法な要求を繰り返し長時間にわたってその自由を拘束し、多大な肉体的、精神的苦痛を与えた非人道的で危険かつ悪質極まりないものである。
しかも、ダッカ事件においては、被告人は、すでにドバイ事件でハイジャックされた乗客、乗務員の不安や苦痛を目の当たりにしながら、再び同種犯行に及んだばかりか、操縦室内において乗務員に対して指示をし、また、管制塔との交渉に当たるなど、主導的な立場にあり、犯行に際して重要な役割を果たしている。
また、航空機の強取に着手してから最終的な人質解放までに、ドバイ事件については約八七時間、ダッカ事件については約一四二時間と極めて長時間、長距離にわたっており、この間、乗客、乗務員は狭い機内に閉じ込められ、機内温度の上昇、トイレの悪臭など劣悪な環境の中、拳銃、手りゅう弾等の凶器による威嚇の下で、飲食から排便に至るまでその行動を制約され、そのため、乗客、乗務員の不安、恐怖は多大なものがあり、その精神的、肉体的苦痛は極めて大きいものと認められ、特に、ダッカ事件においては、交渉を有利に運ぶため、乗客のジョン・ガブリエルを操縦室に連行した上、同人の頭部等に拳銃を突きつけながら管制塔との交渉に当たらせ、遂に同人を失神させるなど、極限の恐怖感を与えており、これに加え、安否を気づかう乗客、乗務員の家族らにも計り知れない深刻な不安を与えたといえ、これらの者が受けた精神的被害は甚大なものがある。
財産的損害についてみても、ドバイ事件では、航空機が爆破され、そのため、日本航空では、同機の帳簿価格約六〇億円のほか多額の損害を受けたほか、航空機の爆破に伴い、乗客、乗務員の所持品が失われており、また、ダッカ事件では、日本政府から身代金として六〇〇万米ドルが支払われ、さらに、いずれの事件においても、事件解決のため、日本政府、日本航空等が出捐した費用は極めて多額であることや、関係諸国にも様々な負担を強いていることが窺え、その損害は極めて重大である。
このほか、ダッカ事件では、日本政府は、受刑者や勾留中の刑事被告人六名を釈放せざるを得ない結果となり、刑事司法秩序、行刑秩序の根幹に影響を与える結果をもたらしているなど、本件犯行の結果は極めて重大である。
しかるに、当公判廷における被告人の供述等をみると、被告人は真摯に本件を反省し、悔悟しているとは認めがたい。
以上のように、本件は、自己の目的を実現するために、二度にわたって、これと無関係の多数の善良な市民に多大な犠牲を強要し、人間の尊厳を踏みにじって顧みないものであって、右のような本件犯行の動機、犯行の手段、態様、航空会社等に与えた損害、社会に与えた影響に照らせば、被告人の刑事責任は極めて重大である。
四 また、旅券法違反についてみても、計画的な犯行であるほか、他の者をも犯行に加担させて旅券を取得しており、また、本件のように他人名義で交付された旅券は、偽造された旅券よりも発見が極めて困難であり、取得の方法も巧妙であることから、この種事犯としては、その犯情は悪質である。
五 以上に鑑みると、乗客、乗務員を全員解放したこと、被告人は、現在では、ハイジャックによる闘争の誤りを認めていること、被告人にはこれまで前科前歴がないこと、その他被告人に有利に斟酌すべき諸事情を十分考慮しても、被告人に対しては無期懲役をもってのぞむほかない。
(求刑 無期懲役)
(裁判長裁判官大野市太郎 裁判官平塚浩司 裁判官栃木力は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官大野市太郎)